岡山市民の文芸
随筆 −第15回(昭和58年度)−


ナンキンハゼ 山口 睦子


 茶道の心得に、一期一会という言葉があり、すべての事を生涯にただ一度の出会いと思って大切にすると言う。草木好きの私は、旅先や道端で見付けた草花との出会いにも、それを思い、いつまでも心に残している。
 十三年前の秋に、札幌から岡山へ来て、秋がゆっくり冬へ移り、木の葉が最後の一葉まで、惜しまれつつ散って行く様に感動を覚えた。夏の終りには冬支度を始め、人間も植物も、自然の厳しい試練に立向い春を待たなければいけない北国では、味わえないおだやかな長い秋だ。
 津島の運動公園の近くに二年住んだので、まだ小さかった子供達三人を連れて、時折遊びに出掛けた。十二月の小春日和の日に、公園の中程で、七、八メートルもある、のびのびと枝を広げた一本の裸木に、私は目を吸い寄せられた。枝のすべてに、真白なアラレを散らしたように見える。駆け寄り背伸びして、口びるを触れてみたが、勿論それは木の実だったから、アラレのように冷たいはずも、溶けるはずもない。実が十粒位付いた小枝を拾って帰り、緑色の化粧水の空瓶にさして鏡台に飾った。この木は中国原産のナンキンハゼであることが、わかった。
 湊の家に越して、旭川荘のおむつたたみの奉仕に参加するようになり、バスで往復の折、国道二号線の、国富から原尾島までの街路樹が、ナンキンハゼと知って、月に一度この並木を通るのが楽しみになった。
 岡山では珍しい小雪の降る日に、この並木を見ていたら、一面の銀世界に、赤い実のナナカマドの並木の、あれは確か札幌の駅に近い通りが脳裏に浮かんだ。岡山の冬にナンキンハゼの実を見てアラレを恋しく思う私。雪におおわれた札幌で、真赤な房をたれたナナカマドの実を見て、彼の地の人は何を思うのだろうか。暖炉の火を恋しく思うかも知れない。ナンキンハゼは、ナナカマドと同じで、新緑も紅葉もそれは美しいことを知った。
 子供達も大きくなると、親と一緒に歩きたがらず、やむなく、夫婦で犬を連れて、近くの操山を一年に二、三回歩く。三ツ葉つつじが、操山一帯に、薄紫の霞をかけたように咲く春には必ず出掛けずには居られない。
 三勲神社参道から入山し、曹港寺へ降りるが、なんと、旗振台へ上る自然道の両側に、ナンキンハゼの苗木が沢山植えられたのを去年見付けて、又楽しみが一つ増えた。
 この八月、北海道出身の古い知人で、今は遠い長崎に住んでいるSさんが、思いがけず訪ねて下さり、「長崎には、ナンキンハゼという木の並木が多いんですよ。」とおっしゃる。植物好きのSさんと、ナンキンハゼとの出会いに北国へ思いを寄せる私と、札幌での懐かしい人々のこと等、私達の話はつきなかった。
 おそらくこの岡山で生涯を送ることになるかも知れない私達には、新しい多くの出会いが待ち受けていると思うが、その出会いを、一期一会と心にとめ大切にしたいものである。



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