岡山市民の文芸
随筆 −第13回(昭和56年度)−


よもぎ摘み 尾形 真吾


 我が家は、餅を製造してスーパーマーケットなどの店へ卸して廻るのが生業である。
「もしもし、餅屋さんですか?よもぎ餅、ほんとにおいしくってよく売れてますよ。明日からもう少し増やして下さいな、ええもうほとんどのお客さん買って帰られますよ。」
 お得意さんからの電話である。
「はい、承知しました。毎度有難うございます。」
 他店では、まだ乾燥よもぎとか、冷凍よもぎを使って草餅を作っている頃である。
 春とはまだ名ばかりの三月の初め頃は、冷たい風が吹き、野原は一面の枯草がひろがり、家々の窓もぴったり閉ざされたままである。そしてよもぎもぴったりと地面にへばりついて、手で摘むに程よいくらいにのびているよもぎを探すのは大変だ。
 でも、お客さんが喜んでくれると云う事ならと思うと、ちょっとも苦にならない。
 早速、ナイロンの袋を持って自転車で、近在のよもぎの出ている所を廻る。
 啓蟄も過ぎ、ようやくに遠近の雑木林の湿り始めた空気の中を、毎年のことで、新芽ののび具合から、いつ頃摘みに来たらよいかを見定め乍ら、少しづつ遠方へ足をのばす。そして、思いがけない所で、充分のよもぎを見つけた時など、来年、又再来年の事を思って小躍りする程、喜びが湧いてくる。
 日だまりのブロック塀のそばなどには、ふさふさした暖かみのあるよもぎが、日なたぼっこをしているのをよく見かけ、まだ露の残っているよもぎにそっと手を伸ばすと、ポチッと、おとなしく摘まれてくれる風情は、深窓の麗人といった所か。
 小川と田んぼにかげろうが立ちのぼるころは彼岸も間近である。薄紅色のかれんなレンゲ草が咲き始め、どこに摘みに行っても、やわらかいよもぎが、諸手をひろげて迎えてくれる。
 段々、都市化が進んで、道路は狭い所まで、アスファルトが敷きつめられ、大気汚染が充満して来ているのに、よもぎは、何と生命力の強い草であろうか。踏まれてもなお時が来れば、青い芽を伸ばして春を告げてくれる。そして、ちょっとでも雨が降ると、音をたてて吸い込んだように、すくすくと伸びる様は壮観である。
 扨て、草餅は、摘んで来たよもぎのアクを抜き、蒸し上がった餅米と一緒に、とんとん搗き出すと、春の色がまたたく間にひろがり、むせるような、香ばしいやわらかい餅になって行くのを見るのは楽しいものだ。生業冥利につきるとはこの事であろうか。
 不思議なことに、世界中、どこよりも早く春が来たように感ずるのはこの時である。



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