岡山市民の文芸
随筆 −第13回(昭和56年度)−


秋立つ頃に 田辺 一芽


 細竹を二、三本、云い訳ばかりに立てかけたのへ、旺盛な生命力の朝顔が我勝ちにと蔓をのばしはじめ、今では何が何やらわからぬ迄に生い繁った。初めの頃はどういうわけか、蕾が小さいまゝ落ちてばかりいたが、朝夕涼しさを覚える頃から大輪の紫色を咲かせはじめた。私は時折りの夕方、明朝咲く筈の蕾の数を数え、翌朝咲いた花の数と合わせてはひとり悦に入ったりしていたが、その朝顔の蔭にひっそりと一本、葉鶏頭が生えている。去年の実が落ちて自然に芽ぶいたものだろう。一群の朝顔の勢力に押されてやっとのこと二十糎ばかりになり、栄養不良の葉を数枚つけている。その赤紫の葉へ、或る日一匹のバッタが止まっていた。いつどこから来たのだろう、体長二糎あるなし、緑色のかよわげな姿でじっと止まっていた。私がそっと掌にのせると、身じろぎもせずにおとなしい。まだよく羽が生えていないのだ。しかし、バッタを町中で見かけるなんて思いがけなかった。昔、子供の頃は、裏の広い原っぱでいろんな虫を追いかけたなあ。いなごは口から茶色の液を出すし、うっかりすると噛まれるので好かなかったが、スマートなバッタの後肢をもって、「はた織れ、はた織れ」とゆすると、身体をヒョイヒョイと踊らせる、それが面白くてよくつかまえたものだ。その踊る恰好からか、みんなバッタといわずに、「ハタハタ」と呼んでいた。
 とも角、その日から私は、葉鶏頭に住みついたバッタを見守る事になった。そして、さなきだに栄養不良の葉が虫喰いになっていたのは、このバッタが食べていたのだという事にやっと気付いたのである。それからは、そこを通る度にバッタの存在を確かめ、「あゝ居る、居る」と安心した。又時には朝顔の葉蔭でゴソゴソしている事もあるが、別に朝顔の葉を食べているのではなく、そこは只の休憩所のようである。私は一度だけ葉鶏頭を食べている姿に出くわしたが、それは丁度蚕が桑の葉を食べるように、お行儀よく食べていた。その頃はもう籠にこそ入れないけれど半分わが家の一員のように、これも一種の愛情というと大げさかも知れないが、何とも可愛くなってしまって、もし近所のいたずら坊主共に見付かりでもしたらどんな目に遭わされるかも知れないと、その存在をひたすら秘密にしていた。
 そして彼此半月も経ったろうか、とうとう羽が身体よりも長くなり、体長は倍以上にもなった。もう立派なおとなである。私はまるで自分が育てたような得意な気分で、その姿を感心し眺め入った。けれど、バッタを見たのは其日が最後で、天辺に貧相な新芽を二枚つけたきりの葉鶏頭に、ゆゝしき食糧難を悟ったのか、それともほやほやの羽で初飛翔を試みたかったのか、それっきり姿を消してしまった。今日で四、五日、私は通る度にもしや、と足を止めてはみるが居はしない。虫というものは、古巣なんか恋しくはないのだなあ、けれど私は大いに淋しいのである。



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