岡山市民の文芸
随筆 −第13回(昭和56年度)−


将来 菅納 ひろむ


 将来いったい何になろうか、―小学校に入学したころから、僕はこればかり考えている。僕は大学受験を目前にした高校三年生だ。職業選択は、もはやそんなに遠い未来のことではない。現に、中学を卒えてすぐに働いている同級生もいるし、来春には、友人も多く就職するではないか。大学に進学するとて、どの学部を選ぶかで、ある程度「将来」が限定されてくる。
 小学生のころの僕は本当に夢が大きかった。「昆虫学者になろう」とか「広島カープの三番バッターになろう」とか……それなりに本気で考えていたのだがら面白い。小学校の卒業文集を読むと僕はなんと「ぼくはしょう来カープの三番でサードをやり、三十五才で引退して小学校の先生になります」などと勝手なことを書いているではないか。ちゃんとプロ野球引退後の生活設計までたてている。抜け目のない子供である。しかしながら、プロ野球経験のある小学校の先生なんて聞いたことがないから、いささか非現実的な「将来設計」ではある。
 中学で野球部に入るのだけど、プロ野球の選手はとても不可能だと悟り、学校の先生への夢に専念することにした。僕は小さい子が好きだし、声が大きいので、教師に向いているのじゃないかしらと勝手に決めてしまった。しかし、反面、僕は悪がしこく、すぐカッとするし、何よりも勉強が嫌いであるから、教師なんてもってのほかだとも思えたのだ。
 実際、僕は小学校の中ほどからいつも先生に叱られてばかりの生徒だった。教室の窓ガラスは何枚割ったか知れず、女の子をいじめて泣かした回数も、掃除当番をサボった回数も抜きんでているのだった。それでいて、クラスの委員長などを毎年のように務めていたから、悪いのがよく目立つ子供だったわけだ。そんな僕が教師になったらさあ大変。ガラスを割った子や、女の子を泣かした子の類を叱る時、「アッ、オレモコウイウコトヲシテ叱ラレタッケナ」と苦笑しながら叱らねばならないに相違ない。
 だから僕は道徳的な立派な教師にはなれないだろう。落ちこぼれみたいな教師にしかなれないかも知れぬ。勉強が嫌いだった子が、どんな顔をして教壇に立てばよいのだろう。しかしこんな僕でも、子供たちの気持ちの良く解る教師にはなれるかもわからない。とまた都合の良い勝手なことを考えている。これが長年考えてきた「将来の職業」に関する結論である。
 しかし、そのためには、今まで遊び惚けた分を取り戻すべく、必死で受験勉強をせねばならない。僕にとっては、教師への道も、「カープの三番でサード」と同じくらい険しい道なのかも知れない。



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