岡山市民の文芸
随筆 −第12回(昭和55年度)−


ものもらい 福代 精一


 眼科医は「ばくりゅうしゅ」なんて難しい言葉を用いるけれども、私達は子供の頃から「ものもらい」といいならわしていた。
 どうせ瞼に生じたニキビみたいなものさ、と今なら悟ることも出来るのだけれども、いささか、さもしい名前だと気になるのは、私が子供の時分に随分悩まされたからなのだろう。生来、内向型の私は、肉体的な苦痛以上にユーウツを感じたものであった。
 体が子供から大人に移る時代には何かしら変調をきたすものか、その頃はヤケに「ものもらい」に悩まされたものだった。
 朝起きた時、目玉がコロコロした感じを受ける。ああ出たなと思う。もうそれだけで気分が重くなってくる。鏡を見ると瞼が赤く腫れており、そいつは日増しに玉を含んだようになる。もとより本人は不快だが、それを眺める他人もうっとうしいだろう、と考えると一層ユーウツさがつのる。
 ―女が眼を病んで、赤い布などで覆っているのは色気があるものだ―と言ったのは確か清少納言だったと思うが、男の眼帯姿なんて、凡そ不粋でいただけたものではない。いわんや眼帯が薄汚れていようものなら眼もあてられない(衛生上からも)。映画にしろ、漫画にしろ、悪玉の仲間には必ずといってよい程、眼帯をかけた奴がいるのだ。
 それはともかく、私は「ものもらい」が出ると― 時には右、左、また右と連続して出ることもあった―、まず第一に母から教わった呪をしに井戸に出掛けたものである。
 古びた味噌漉を井戸の中に半分つき出し、『井戸の神様、どうか私のものもらいを治して下さい。治ったら皆見せてあげます』
 真剣な願いの言葉が深い水面に反響して消えていくと、たちどころに痛みが軽くなっていく気になったものである。実際それはよくきいた。中学に入って転居したら井戸がなく、「ものもらい」が出るたびに近所の井戸を拝借せねばならなかった。
 そうなると、年令もニキビの出る頃だし、照れ臭さがさきにたち、口の中でむにゃむにゃとごまかすように神様に歎願して、足早に帰ったりしたが、慈悲深い井戸の神様はその都度願いを叶えて下さった。
 何故、井戸の神様が眼を司るのか、いわんや古びた味噌漉が何故見たいのか、すべて今も疑問である。いや正直に本心を打明ければ、これは迷信と呼ばれていいかも知れない。不思議なことに、あれ程私を悩ました「ものもらい」が、ぱったり姿を消して40年近い年月が過ぎた。若し今頃、出たらどうしょう。井戸のある家は少くて、水道の蛇口を借りて神様にお願いしても通じるのだろうか?
 最近は切開するか、ペニシリンで簡単に治してしまうそうな、だが私は昔なじみの井戸の神様にお願いしようと思う。



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