岡山市民の文芸
随筆 −第12回(昭和55年度)−


古いヘラ台 牧野  薫


 久しぶりにヘラ台を出しました。夏物バーゲンセールで見つけたワンピース地で、ホームウエアを作りたくなったからです。
 厚紙を布で貼り合わせた昔ながらのヘラ台は、継ぎ目が薄くなったり、所々虫に食われたりだいぶ痛んでいます。もう二十年近くも前に買ったものです。
 パタッパタッと拡げていきますと、小さな足跡がくっきり、相当のよごれ足でこの上を歩いたもののようです。十四、五センチありますので息子が四才頃のものでしょうか。小指の小さな丸みまではっきりと残っています。その面を見ますと、ああ、セーラーカラーの型にヘラの跡が見えます。これは主人のズボンで息子のセーラーカラーの上下服を作った時のものです。
 ヘラ台に残された小さな足跡から、嬉々として出来上りを待っていた息子の笑顔がまざまざと甦ります。この小さな足跡が今にも歩き出しそうな気がします。
 息子の小さかった頃は、よく手作りの服を着せたものでした。夏は端布で作り冬は毛糸の手編でした。全て我流ですので、着ごこちはあまりよくなかったかもわからないのですけれど、母である私は満足でした。
 めったに使う事もないヘラ台を、転勤の度に処分してしまおうかと迷った事もありましたけれど、古ぼけたヘラ台にもほんのりと心あたたまる思い出が息づいていたのです。とりとめもなく次々に思いが胸を通りぬけます。たまには息子のおしりをぶったその手の痛さまでも……。
 あれから十四、五年経った今日、息子は東京で下宿住まいです。
「用事がなければ電話かけて来ないでヨ、洗濯だって計画的にやっているし、ジーパンなんかは汚れがひどい時は、お湯の出る使用料の高いコインランドリーを使っているし、出来るだけ野菜を多く食べるように気を付けているんだから、何も心配しなくていいヨ。」
 私は古いヘラ台に残された小さな足跡一つからも、息子とのふれ合いをたんねんに拾い上げているけれど、息子はそんな事は知る由もなく、自分を見つけ出すために飛び立っていきました。息子も又本一冊、ノート一冊にも、灰色のページ、バラ色のページとそれぞれの心の色にぬりかえながら、大人へと脱皮していく事でしょう。
 窓越しの初秋の風が、先程から拡げている布にたわむれています。ヘラ台に布を拡げ型取りが終れば、この古ぼけたヘラ台は、しばらくは押入れの中で無聊の日々を送る事になるのです。さまざまな生活の証しを育くみながら。
 これから作るホームウエアーの袖は裾広がりの扇形ですから、さわやかな風にひらひらとなびくはずです。満ち足りていて、ちょっぴり退屈感のまじった初秋の昼下がりです。



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