岡山市民の文芸
随筆 −第11回(昭和54年度)−


歯なしの話 福代 精一


 顎の骨が「メリッ」と音をたてて、なけなしの歯が抜けた時、不覚にも涙が出た。
 むろん、事前の麻酔が十分きいているので、痛みはない。その涙は、しいていえばこの五十年、自分の体を支えてきてくれた歯と、別れる淋しさといってもよいだろう。
 歯科医の話によると、歯の良し悪しは食後の歯みがきは当然としも、かなり遺伝的な要素が大きいということで、この点から考えても両親共に歯の悪かった私が歯の良かろう筈がない。知人に生れてから殆んど歯をみがいたことがないと、妙な自慢をする男がいるが、確かに黄色い歯がびっしり並んでいるものの、虫歯は一本もない。
 湯や水が染みはじめ、ついで歯の痛みが続くようになってから、やっと歯科医の門をくぐるのが常だったように思う。幼ない頃の歯科医の思い出といえば、あのガリガリという歯を削る音、それにともなって、〈ホラくるぞ、くるぞ〉と覚悟はしていても神経に触れる、つきさすような痛み、両掌に汗が流れ、体が思わず治療台から浮かび上がる。なろうことなら、先生の指も一緒に口を閉じてしまいたい気持ち。
 充填、金属冠、ブリッヂ、義歯とその度に一本、二本と歯はなくなってしまった。
 今年の六月、上顎の前歯で、数年以前に継歯をしたのが、肉を噛んだとたんポロリと落ちてしまった。折りあしく会議で出張をあと二日に控えていたので、緊急修理を依頼したが、マスクを通して耳に届いた歯科医の言葉は適切で、おかしく、また情ないものだった。「福代さん、こりゃ修理しても駄目でしょう。泥田の中に鉄筋コンリートの家を建てるようなものですよ。一応セメントで着けてはみますが、直ぐとれるか、案外一週間も保つのか、受けあえませんけどね」
 出張中は食事は柔かいものだけ食べることにして、なるべくこの歯に力がかからないようにした。正確に結末を報告すると、二日間の会議が終り、ヤレヤレと友人数名でビヤガーデンに入り、串カツに噛みついた時、肉と共に落ちてしまった。
 先輩のこれも歯の悪かった一人が「オイ、総義歯はいいよ、もう痛むこともないし、なんでも噛めるからナ」と語ってくれたが、カタカタと乾いた音が聞こえて、その顔の底には一抹の負け惜みに似た淋しい笑いが沈んでいるのを感じた。
 そんな事態はついそこまできてしまった。口を開けて鏡を覗くと、無惨な眺めである。
 目下欠け落ちた歯根を整理しつつあるところだが、再び白い永久歯が生え揃うのも間もないことだろう。



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