岡山市民の文芸
随筆 −第11回(昭和54年度)−


短い鉛筆 徳田 暁子


 私は短かい鉛筆をたくさん持っている。長くても七〜八センチ、短いのは二〜三センチ位である。小学校に入学した時買った2Bの書き方鉛筆の残りのように、もう二十年程持っているのもある。母に物を大切にするよう教えられ、短くなった鉛筆も補助キャップをつけて使っていた。しかし、補助キャップをつけるのは面倒臭く、筆箱の中に補助キャップ付きの鉛筆が入るのはせいぜい一本か二本で、新しい鉛筆をおろして使う方がずっと多かった。学生生活の間に使い古しはどんどんたまり、その上妹も父も、学校や仕事で使って短くなった鉛筆を私のところへ持ってくるようになり、いつの間にかその数は四百本を越え、クッキーの空き箱に一杯になってしまった。
 削るには短かすぎて鉛筆削りは使えず、ナイフである。今頃ではボールペンや万年筆を使うことも多く、この箱の中の鉛筆が使われ、短くなりすぎてキャップにはさめなくなり、次の仲間へキャップを譲るのは、一年に三本か多くて五本である。この箱の中の鉛筆を使いきるためには、私は何年生きなくてはならないのだろう。
 また、机を片付ける度にこの箱は目に触れ場所ふさぎで、何も知らない人がこの箱をあけたらびっくりするだろうと、秘密の小箱をしまうように、狭い机の中をあちこちさせるのである。
 お互いの芯で黒く薄汚れた鉛筆は、とてもきれいとは言えず、こんなものをためこんだことを、本当に憂うつに思うこともあるが、何よりも鉛筆としての用は充分に果たすのであり、削った時表われる木の色の新しさに驚くこともあり、また、たまたま鉛筆のシッポになったために、頭のように喜んで字を書いてもらえることもないまま、こうして汚ないものや邪魔もののように扱われていることに、人間でも、ただ巡り会わせが悪いばかりに、持っている力を出せないまま終わる人もある、とそんなことを思うこともあり、やはり一まとめにして捨てることはできないのである。
 そしてこの鉛筆を見ていると、それぞれの鉛筆を使っていた頃のことが思い出されてくる。しかし決してこの鉛筆によって、昔の思い出に浸るのではない。今までの生活の積み重ねの上に、今の私がある。しかし私は更に明日のことを想う私でありたいし、その時々はためらいや不安が一杯であった私の毎日が、ある日気がついてみればなつかしい思い出として残っていた、とそんな人生の過ごし方でありたい。しかし、認めたくはないが、毎日の行動に何か見返りを期待し、ずるく臆病に計算ずくで動くといった哀しい事実も、私の中に顔をのぞける。それも慢性成人病のひとつの症状かもしれないが、笑いたいから笑い、泣きたいから泣く、そんなありのままの私でいたのは、どの鉛筆を使っていた頃のことだろう、とこの短い鉛筆は、私をそんな思いに連れていく。



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