岡山市民の文芸
随筆 −第11回(昭和54年度)−


駅馬 川口 澄子


 とにかく、旅は楽しいものである。
 私もよく旅をする。それは近頃の世間一般の旅行ブームに影響されての事であることは確であるが、もう一つには、年を取ると物の考え方が自己中心的になり、何とも残り少い人生を楽しく送りたいと思うことにもよる様である。
 いつか、高槻の娘の家に泊った時のことである。夕食後、家族でくつろいでいる時、娘が『四柱推命』と言う本を持ち出して来た。これは中国の古い易の本で、生年月日によって、その人の運勢を占うもので、生まれた正確な時間が判れば、死ぬる日や時間までもピタりと当たると言う。恐ろしい本である。
娘が私の運勢を占ってくれた。
「お母さんには駅馬がついていますよ。この駅馬のついている人は、始終住居を替えるか若しくは、旅行などで家を空ける事が多いと言う運勢よ」と言う。
 しかも、御丁寧にも私には駅馬が二つついていると言うのである。
 家へ帰ってこの話をした。そして、
「駅馬のついている人は、本人の好むと好まざるとに拘らず、よく旅行をする運勢だそうですよ」と言った。
「本人の好むと好まざるとに拘らず」と言う個所は私が勝手につけ加えたのだが。
 そう言えば私はよく家を空ける事が多い。私達夫婦は、最近年一回の海外旅行をと言う念願をたて、ここ二三年それを実行して来た。国内の旅行も出来るだけ機会を捉えて、参加する事にしている。又旅行以外にも、東京と横浜に娘がいるので、年に二三回は上京し、逗留する。
 私が家を空ける事に時々ブレーキをかけていた主人も、駅馬の話をしてからは、総ては運命的なものと観念したのか、このごろでは大目に見てくれている様である。
 旅行から帰るとすぐ又、商売の関係の招待旅行に身替りで出掛けたりする。
「駅馬が二匹だから、マア一匹を休ませて、もう一匹のへ乗って出かけるさ」
などの冗談を言い諦め顔である。
 旅をするには、先ず健康である。
 家にいる時は少し働くと疲れたなどと言いながら、さて旅行となるとトタンに元気ハツラツである。長い旅の間も殆ど疲れると言うことはない。疲れたと言うのは家に帰ってからである。
 又、旅には最近殊にお金がかかる様になってきた。
「駅馬を二匹も飼っていると大変なのよ」
と、人には冗談めかして言うが、実際現実は厳しく、手許はいつも不如意である。
 それが、旅行に出る前になると、思わぬ所や思う所からお金が入って来る仕組になっているから妙である。
 あれも、これも偏に駅馬の御利益と感謝している次第である。
 こう考えてみると、私には紛れもなく駅馬がついている様である。 
 先日、ある友達にその話をしたら、その友達もたまたま四柱推命≠フ研究をしていて、「駅馬が二つは珍しいわね。でも三つついていなくて良かったわね」と言う。
「三つついていたら、生涯、住む家が定まらないそうよ」と教えてくれた。



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