岡山市民の文芸
随筆 −第11回(昭和54年度)−


文学碑と花 山下 美津留


 先日、わが家の玄関に飾るために、竹久夢二の壁かけを買った。それは、大きなみかんがたくさん実った木に、彼独特の、か細い着物姿の女性がもたれかかっている絵である。
 なるべく艶っぽさの少ないものを、と思ってこれを選んだ。
 その夢二の文学碑が、後楽園の入り口近くにある。日曜日にはいつもここを通る。ほとんど毎回と言ってよいほど、この碑の前で、バスは停車する。降りていくのは観光客であろうか……。その、降車のわずかな時間に、窓から文学碑を見ることができる。が、これも、最初から夢二のものと気づいていたわけではない。バスが体をくねらせて発車する時、左側に黄色い花が咲いていることに気づく。
 その日はそれだけである。次回、それが月見草ではないかと思う。そして、月見草とは宵待草のことではないかと思う。また、次の日曜日、背の高いひとかたまりの宵待草が目に入る。―宵待草―という名前で、やっと、竹久夢二を連想するに至る。
 「岡山の生んだ天才詩・画人の碑ここにあり」というふうな立て札が、ある日ふとわたしの前に現われた。あまりにも、花の黄色いかたまりに気をとられていた。
 さもありなん≠ニわたしをうなづかせる。旭川の流れを背景に、自然に、謙虚に咲いているのかと信じていたけれど、花と人とは、関連していたのだ。
 「待てど暮せど来ぬ人を……」動くバスから石に彫られた草書文字は読みにくいが、文面はこの詩であったろうと思う。
 「宵待草」を辞書で引いてみると、「まつよい草」を引くようにという注意書きがあった。まつよいぐさではピンとこない。あの夢二という名の哀愁、よいまちぐさという発音のせつなさ、そして首の長い女性とが、よくマッチしていて人気があるのだろう。
 夏の朝、かれんにも自分の存在を強く印象づけさせた花も、今は針金のような茎のみとなった。咲いては散り、枯れていく花は、夢二の肉体を表わしているのか。彼の精神は、硬い石に深く刻まれて残っている。
 わたし自身は、彼の絵や、感傷的過ぎるほどの詩はさほど好きではないけれど、一週間おきに通る道べりに、花の一生を見送り、変わらないのは石碑のみということを見る時、ふと自分の生き方をも考えてしまう。
 自分を生かし、残すということは人の夢である。石はその冷たい体で人を拒むということを、どこかで聞いたことがあるが、石は人に代って、人を受け入れて、後の世にまで残すということもするのだな……と、石を見直しているこの頃である。
   


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