岡山市民の文芸
現代詩 −第53回(令和3年度)−


この世で一番 山本 照子



この世で一番広いものは
心だと聞いたことがある

小学五年生の時の国語の時間
その日の作文の題は「母」
鉛筆を持とうとしない私の傍らで先生は言う
「思い出でもいいんだよ」
しかし物心がついた頃には
母はこの世の人ではなかった
わが家に帰って目にしたものは
お握りをむすんでいる父の背中
陽の光をたっぷり浴びた布団のように
温かくて広い
「何かあったのか」
ふりむきざまに父は言う
たちまち私は父の心にすっぽりと包まれる
眠れない夜が続いて寄る辺のない私の体温が
夫との諍いを巻き起こす
自分の部屋に閉じこもった私は
吉野弘の詩集を手に取る
そのなかの「祝婚歌」の一節一節が
五臓六腑に染みわたる
三度読み終えた時には
私は凪いだ海に浮かんで微風と戯れている
時空を越えて
私を波打ち際まで運んでくれた
吉野弘の想い

私は私の心で
人の想いをどれほど汲んできただろうか
翼を大きく大きくはばたかせただろうか
宇宙を確と抱きしめただろうか

初秋の青空は
静脈を流れる
血の音とさえも響きあうかのように
深く深く澄んでいる
その青空に両手を突っ込んで深呼吸した心が
果てしなく広がっていく





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