岡山市民の文芸
現代詩 −第52回(令和2年度)−


空前そらまえ 山本 照子



 私の古里は山懐にあった。裾野から黒崎山へと向かう長い坂道の両側には、三十軒ほどの家が散在している。
 その村落の頂きには、村人たちが「空前」と呼んでいる大きな屋敷があった。代々、近隣の山の持ち主が住んでいるその家は、内部が見えないほどに高い漆喰の塀に囲まれていて、村人の人たちの憧れを集めていた。

 小学校に入学したばかりのおかっぱ頭の私は、当時中学生だった空前の長男のうしろ姿を「お兄ちゃんお兄ちゃん」と呼びながら追いかけた。
 村が雪に覆われるころになると、空前のお兄ちゃんは私を引きつれて、熊笹の生い茂る藪へと行った。小鳥を捕獲する「仕掛け罠」をつくるのだ。翌朝、小鳥たちのさえずりの中、朝日を浴びた罠には、ひとつの死が横たわっていた。雪の白、餌である南天の実の赤、竜のひげの実の青、それらの色彩が放つ、この世の光りに包まれて。

 村中で一番空に近いから、空前と呼ばれているのだと気がついたのは、中学生のころだった。星空の下に浮かびあがっている、空前の屋敷を見上げる時、あれこそ「銀河鉄道の夜」に登場する始発駅だと、空想の羽をはばたかせたものである。

 古希を過ぎたころから、キャベツの葉を一枚一枚はがしていくように、新しい記憶が失われていく。そして古里で暮らした遠い遠い日々があらわになってきた。なかでも、私に空想の楽しさを教えてくれた空前の漆喰の塀が、私に生と死はただの連なりにすぎないことを教えてくれたお兄ちゃんが、記憶の中の特等席で、スポットライトを浴びている。

 もうすぐ、空前と言う始発駅から銀河鉄道に乗って、果てしない宇宙へと旅にでる。


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