岡山市民の文芸
現代詩 −第50回(平成30年度)−


鬼頭村 山本 照子



 私の古里である、鬼頭村には、くねくねと流れている谷川があって、それに沿って二十三軒の家が建てられている。
 村には樹齢五百年の大イチョウがある。その樹を鬼頭村の守り神と崇めている村人たちは、今でも根元に飯と水を供える。飯をついばみにくる小鳥の泣き声は天地に満ちて、村の永遠の平和を約束してくれるのだ。
 終戦直後の鬼頭村には、因習が色濃く残されていた。その一つが、左利きの女の子は、早逝すると言うものだった。そして私は、左利きの女の子として生まれた。
「原田の家系には、左利きの血は流れとらんのじゃあ、どんなことをしても、右利きに育てんといけんぞな」
 物心ついた頃から、母を叱る祖母の声を何度聞いたことだろう。
 三、四歳の私が左手に箸を持つとき、素早く母の拳骨が左手に落ちてくる。私はあまりの痛さに泣きわめいた。泣きやむのを気長に待った母は、私の耳元で「春子には長生きしてもらわんと困るから」とささやくと、錆びのついた緑色の茶筒から、赤色の大きな飴玉を取りだすと、私の右手に握らせた。そのあと、母は両手で、私の左手を包み込んでくれるのだった。
 今では鬼頭村でも、その付近の村でも、左利きは個性のひとつとして認められ、矯正する親はほとんどいない。七十年程前に、私を右利きに育てた母は、五十三歳で死んだ。その後「私の居場所はここしかない」と言わんばかりに、私の右手に棲むようになった。
 そして、鬼頭村の、喧噪にも似た夕焼けの華々しさや、夏祭りの夜店に漂っていたアセチレンガスの匂いについて語るのだ。
 私を右利きに育てあげた苦労は「お互いによう分かっとるじゃろう。とにかく私は、春子の右手が居心地ええんよ」とでも思っているのかどうか、何も話さない。
 最近母は、ますます饒舌になってきた。








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