岡山市民の文芸
現代詩 −第24回(平成4年度)−


古井戸 山本 照子


生家の苔むした広い庭の片すみには
もう使わなくなった古井戸がある
幼ない日の私は
古井戸をのぞくたびに夢にうなされた
父さんが街から
木製の大きなふたを買ってきて
古井戸にふたをした


いつの頃のことだったろう
私の心の中にも古井戸があることに気づいた
井戸をのぞきたくない私は
いつも青空を仰いで陽気に生きてきた
時には空は黒雲におおわれるけれど
上を向いたまま目を閉じていると
やがて青空が広がった


広がった青空は
必ず
黒雲におおわれることを知った頃から
胸の奥でゆれている
井戸の水の音が大きくなった
いつも空を仰いでいるのには
首の骨も弱くなったようだ


思いきって古井戸をのぞいてみた
長い年月に
水はドロドロに濁っていた
悪臭さえも放っていた
なお目をこらすと
一匹の魚が泳いでいる
決して美しくはない
決して大きくもない
暗闇の中で
傷つきながら
泥をくっつけながら
それでも生きようと
懸命に尾ひれを動かしている
一匹の魚がいる



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