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直家の城ー飛翔編ー

[2023年12月1日]

ID:54792

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今回は宇喜多直家が頭角を現すきっかけとなった城と、飛躍への足掛かりとなった背景について紹介します。

乙子城

乙子城跡

 岡山市の東側、吉井川の河口付近の小高い丘陵に築かれた小城が乙子城です。近世以降の干拓で陸地となりましたが、戦国時代は内海に面していました。軍記物語によると、四国と備前の勢力が衝突し、海賊も跋扈する危険な土地でしたが、直家が進んで城主となって守ったとされています。現在、城跡は神社となっていますが、墓地を挟んだ西側が城の中心で、最も高いところが主郭、神社が副郭にあたります。主郭から扇状に広がる段が、主郭を守るための腰曲輪です。

新庄山城

新庄山城跡

 新庄山城は乙子城の北、東区竹原の小鳥の森西側の丘陵上に築かれた城で、直家が乙子城の次に居城とした城と言われています。急傾斜の山道の頂上に、堀切りと郭が配された簡素な山城です。乙子城で水運を押さえ、内陸部へも手を伸ばす足掛かりとなった城が新庄山城です。
 この城を拠点にして領地を治めるだけではなく、さらに飛翔を目指す直家の志を感じることができます。

成長の基盤、吉井川

 なぜ直家は戦国大名に成長することができたのでしょうか。その答えの一つが吉井川にあると考えられます。
 中世以降、列島各地では活発な交易が行われ、市も立ちます。吉井川周辺の福岡(現在の瀬戸内市長船町福岡)の市は、備前国の物流拠点でした。その後、さらに南にある西大寺の門前町も栄えます。直家は、吉井川の経済力を成長の基盤にしていたのです。次号は直家の「野望編」です。お楽しみに。