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吉備の大王と、高松城水攻め ―造山古墳群・高松城―

[2023年5月1日]

ID:49288

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造山古墳

造山古墳の写真

 「造山古墳はどこですか?」、造山古墳のすぐ横で聞かれたことがあります。あまりにでかい古墳であるため、近くにいても人工物とは理解しにくいようです。それもそのはず、全長が350mもある超巨大前方後円墳なのです。全国第4位の大きさとはいいながらも、3位までは天皇陵に治定されているため、立ち入り禁止。したがって登れる古墳としては全国一の大きさです。しかも、家来の墓とも、身内の墓ともされる陪塚が、6基もあります。そのうちの1基、千足古墳はきれいに整備され、石室も見学が可能です。
 さて、造山古墳は吉備の豪族の墓と考えられてきました。ところが、考古学の研究がすすみ、築かれた時は第1位や2位の古墳よりも古く、第3位の古墳とほぼ同じ時代に築かれた、という説も出てきました。そうすると、同じ時代の大王墓とは、わずか10mほどの差となります。造山古墳が築かれた5世紀前半、吉備の王が大王とほぼ同じ勢力を持っていたわけです。大王に象徴される桃太郎と、吉備を支配していた温羅が戦う伝説は、そのことの反映ではないでしょうか。

高松城水攻め

高松城の写真

 さらに造山古墳は、歴史上の大事件とも関わっています。それは、織田信長が討たれ、豊臣秀吉が天下人になるきっかけとなった高松城水攻めの際、砦に利用されていたことです。今も、後円部上には砦の土塁や竪堀が残っています。後円部の上から見ると、高松稲荷の大鳥居の左側が高松城で、背後の丘陵に秀吉勢の陣城が広がっていました。造山古墳では、戦国パノラマも体感することができるのです。