6. 不明門下の石垣
右隅は宇喜多秀家期の石垣に被せて造られており、関ヶ原合戦後の小早川秀秋期か前池田期に築かれたものとみられる。上部は不明門を建てた時に積み足され、中位の一部は天保9年(1838)に崩落して修理を受けている。