旧岡山県指定重要文化財 三間多宝塔で本瓦葺。昭和42年の火災で本堂と共に惜しくも焼失してしまいました。 棟札によれば、宝永8年(1711)3月に完成し、翌年の正徳2年(1712)に入仏供養が行われています。大工には、正儀(岡山市)の吉永善三郎貞久と上山田(瀬戸内市)尾形太郎左衛門末次が記され、周辺の村々に居住する小工21名、木挽3名が共に記録され、邑久大工集団の仕事であったことが知られます。
旧岡山県指定重要文化財
三間多宝塔で本瓦葺。昭和42年の火災で本堂と共に惜しくも焼失してしまいました。 棟札によれば、宝永8年(1711)3月に完成し、翌年の正徳2年(1712)に入仏供養が行われています。大工には、正儀(岡山市)の吉永善三郎貞久と上山田(瀬戸内市)尾形太郎左衛門末次が記され、周辺の村々に居住する小工21名、木挽3名が共に記録され、邑久大工集団の仕事であったことが知られます。