撫川城(なつかわじょう)
 岡山市撫川にある。県指定史跡である。足守川下流の旧海岸線沿いに位置し、この土地は港の機能を有する立地であった。
 この城は、天正年間(1573-92)に毛利氏の城代として上山兵庫・植民部大輔などが在城し、いわゆる対織田氏のための「境目七城」(宮地山城・冠山城・高松城・鴨城・日幡城・松島城・撫川城)の1つとして用いられた。 しかし、天正十年(1582)には羽柴秀吉によって落城させられた。
 城郭は、周囲に幅約15mの堀をめぐらせ、北西端からは足守川の水を引き入れている。東西約85m、南北約55mの長方形の平面形で、南に大手門を備えている。野面積みの高石垣が残されている。平城としては県下屈指の規模で、壮観である。城の南西にある太鼓橋は、江戸時代の戸川氏庭瀬藩の大手門跡といわれている。また、現在城跡にある門は、江戸時代の撫川知行所の総門で、明治時代になって移築したものである。

 

位置

 

見学 JR山陽本線「庭瀬」駅下車 徒歩10分 城の西側からみた石垣は圧巻。
付近には庭瀬藩の庭瀬城や古い町並みがあり、あわせての散策をおすすめする。

参考文献 出宮徳尚「撫川城」『日本城郭大系』 13 1980年

 

石垣(西から)

 

南から(堀家純一氏撮影)

 

略測図

 

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