昭和13年(1938)7月4日「国宝保存法」による国宝に指定 昭和20年(1945)6月29日未明の岡山大空襲によって惜しくも焼失しました。 寺の地表面から基檀を含めた九輪の最上端まで21メートル強であったと推定され、室町様式を備え、軒下周りの組物は丹(に)で彩色された優美な塔であったと伝えられています。焼失した本堂と共に城下町の名物建物として人々に親しまれていました。
昭和13年(1938)7月4日「国宝保存法」による国宝に指定
昭和20年(1945)6月29日未明の岡山大空襲によって惜しくも焼失しました。 寺の地表面から基檀を含めた九輪の最上端まで21メートル強であったと推定され、室町様式を備え、軒下周りの組物は丹(に)で彩色された優美な塔であったと伝えられています。焼失した本堂と共に城下町の名物建物として人々に親しまれていました。