小早川家系図 (城主期間 慶長5年から慶長7年)

家  紋
画像 右三つ巴
右三つ巴
戦国末期、小早川家は中国地方で着々と勢力を固めていた毛利元就の傘下に入り、元就三男隆景を養子に迎えた。隆景は知略に富んだ武将で、豊臣秀吉にも重用され、晩年は豊臣五大老にも列した。子がなかったため、秀吉猶子・秀俊(のちの秀秋)が後を継いだ。秀秋は関ヶ原合戦の功により備前・美作を与えられ、岡山城に入城するが、在封わずか2年足らずで病没、小早川家は断絶する。なお、秀秋の実家木下家は、備中足守藩主と豊後日出藩主の2家が明治維新まで存続している。

写真 小早川隆景像
小早川隆景

広島県JR三原駅(山陽線)北口にある像。隆景は秀秋に家督を譲ってのち、三原城に隠居した。

秀秋

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