■元禄15年(1702)生〜安永5年(1776)没
■城主期間 正徳4年(1714)〜宝暦2年(1752)
■別称 保教、峯千代、主税、茂十郎、空山
■叙位叙任 従四位下、左近少将
■法名 保国院殿鉄叟空山大居士
■墓所 岡山市円山 曹源寺内池田家墓所 |
■40年にわたる治世
池田綱政の四男として岡山に生まれる。はじめ一族の家老・池田由勝の家を継ぐが、兄二人が父に先立って亡くなり、もう一人の兄も病弱であったため世子となり、正徳4年(1714)、父・綱政の死去により岡山藩主となる。以後およそ40年の長きにわたって藩政をみた。継政が藩主にあった享保〜明和年間は全国的に一揆が頻発した時期であったが、民心をよく掌握し、善政をしいて治安を保った。宝暦2年(1752)隠居、後に出家して空山と号した。
■画才高き文化人
絵画・書・能楽・和歌を愛好した文化人で、特に絵画は殿様芸を超えた腕前で、絵師としての評価も高い。江戸の湯島聖堂の孔子像、宇治平等院の源頼政像は継政の筆によるもので、領内の社寺にも自筆の書画を数多く奉納している。また、後楽園の整備や領内の史跡の顕彰にも努め、明和3年(1766)には「平家物語」で有名な藤原基房の配流地に顕彰碑を建立している。安永5年(1776)没、75歳。 |
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●池田継政画「春の駒」(岡山県蔵) |
写真提供:山陽新聞社 |
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