岡山市牟佐にある。国指定史跡である。旭川が平野部へ流れ出る位置にあり、古代の山陽道が旭川を渡る地点でもある。水路と陸路が合流する交通の要衝の地といえる。墳形は前方後円墳や方墳という見方もあるが、現況では径30mほどの円墳である。石室全長18.0m、玄室部の長さ6m、同幅2.8m、羨道の長さ12.0m、同幅1.8〜2.4mである。両袖式である。総社市のこうもり塚古墳、真備町の箭田大塚古墳とともに吉備三大巨石墳の一つに数えられている。玄室部には長さ2.9m、幅1.6mの家形石棺があり、石材は井原市白山で産出する貝殻石灰岩である。
本墳は、両宮山古墳などの遺跡が密集する山陽町の盆地と、旭川東岸の平野部との中間に位置しており、両地域を押さえる立地といえる。いずれも古代の有力豪族である上道氏の拠点であり、本墳も上道氏の古墳と考えられる。周辺には市指定文化財の扁額のある高蔵神社や、旭川橋北側の林原にある林原古墳群では横穴式石室が数基開口しており、合わせて見学をおすすめする。
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宇野バス「牟佐下」下車
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出宮徳尚ほか「岡山市牟佐大塚古墳」『古代吉備』第7集 1971年 |
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墳丘写真 |
石棺写真(本井一史氏撮影)
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