Q&A藤田地区の干拓 [答え]

「田んぼを塩抜きした方法は?」
■質問14の答え


塩抜きを掘っている様子

田んぼの土中に含まれている塩分は稲作にとっての大敵でした。それを取り除くためには、「塩抜き」と呼ばれる幅15cm、深さ40cm、長さ100m程度の明渠(めいきょ)が数m間隔で掘られました。明渠とは土の表面に掘られた溝のことで、これに対して土の中に掘られた溝を暗渠(あんきょ)といいます。土の中の塩分が溶けだした水は、この塩抜きから排水路、そして堤防のすぐ内側に掘られていた潮廻川(しおまわしがわ)を通って、最後に海へと排水されました。このような方法で土の中の塩分は何年もかけて少しずつ取り除かれていきましたが、それまでは綿や西瓜、ソラマメなど比較的塩分に強い作物が栽培されていました(ちなみに第6区や第7区の頃には、土中の塩分を取り除く方法が分かっていましたので、早いうちから稲作ができました)。


塩抜きがま

このような塩抜きを掘るための道具が「塩抜きがま」と「塩抜きぐわ」です。「塩抜きがま」は長い柄の先に幅3cm、長さ50cm程度刃がついたもので、刃の上には4〜5kgの重りが付いています。干拓地の土は粘土質でしたので、塩抜きを掘る前にまず塩抜きがまで土を切る必要がありました。重りが付いていても引っ張っているうちにだんだんと上に上がっていきますので、引いては戻し引いては戻すという作業を繰り返して、同じ深さになるように土を切らなければいけませんでした。この塩抜きがまで両側を切ったところを掘るための道具が「塩抜きぐわ」です。普通のくわより柄が短く、刃の部分も細長くなっています。使い方は、塩抜きがまで切った部分をまたぎ、股の間からこのくわで溝を掘っていくという方法でした。一度には深く掘れませんでしたので、刃の部分の幅を変えた物で何度も掘らなければいけませんでした。


塩抜きぐわ

この塩抜きを掘る作業は大変な重労働で、大人でも1日に2〜3本掘ることができれば優秀とされていました。


塩抜きがまで土を切っているところ

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