綾杉地獅子牡丹蒔絵婚礼調度
     あやすぎぢししぼたんまきえこんれいちょうど


重要文化財 江戸時代


貝桶

(綾杉地、獅子、牡丹部分)

 当館収蔵の「綾杉地獅子牡丹蒔絵婚礼調度」19点は、江戸初期の大名婚礼調度の蒔絵意匠に新しい趣向を加味した優品として、昨年6月、国の重要文化財として指定された。
 いわゆる大名婚礼調度とは、江戸時代初期以降、大名、公家、大商人間の婚礼の際整えられた豪華な諸調度のことである。いずれも統一された意匠の蒔絵で華やかに装飾されていた。
 新指定となった当館の婚礼調度は、徳川家康の孫娘天樹院千姫の娘勝姫(父は本多忠刻)が二代将軍秀忠の養女となり、寛永5年(1628)池田光政へ輿入したときのものとの伝承がある。
 調度の内容としては、厨子棚、黒棚、貝桶、十二手箱、角赤(すみあか)手箱、文箱、鏡台、湯桶(ゆとう)など19種があり、いずれも綾杉地の紋様と獅子牡丹の蒔絵そして三つ葉葵の家紋で統一されている。
 この調度の作者についての伝承はないが、現時点では、徳川幕府の御用蒔絵師であった幸阿弥(こうあみ)家十代の長重の作ではないかと推定されている。
 蒔絵の地文様としては綾杉文が用いられており、稲妻形の縞模様で、金、銀、青金の平(ひら)蒔絵、濃淡の蒔き分け、金蒔絵の細線による色調や幅の異なる数種の線などにより、極めて変化に富んだ文様となっている。
 牡丹の花は、金の高(たか)蒔絵に銀の切金で花心を表したものと、銀の高蒔絵に金蒔絵で細線を描き金の切金で花心を表したものとがある。
 また、綾杉の地文様のところどころには、三つ葉葵の家紋が散らされている。
 さらに細かくみれば、唐獅子や牡丹の姿はすべて異なる形で描かれていて同じ姿態のものはみられない。いずれも繊細で巧緻な蒔絵技法が用いられており、優れた意匠と相まって極めて豪華にして贅をつくした仕様だというべきであろう。
 調度の中で代表的なものとしてまず厨子棚をみると、地文は稲妻形の綾杉地文様で広く狭く濃淡のある階調の色彩で構成され、狩野派風絵画様式の唐獅子と牡丹が金銀の高蒔絵で描かれている。桃山時代の豪華さの名残りと江戸期の瀟洒洗練の趣きが横溢しているといえよう。なお厨子棚は、中世以前ほとんど家具というものが発達しなかったわが国において、数少ない伝統的調度であったといわれている。
 次に貝桶である。元来、貝桶は貝合せを納めた調度であり、合せ貝は平安朝以来の公家の遊戯であった。しかし、武家典礼ではこれを婚礼調度の第一儀にとりあげ、貝合せの蛤が一対の貝以外の他の貝とは決して合わないことから、貞婦は二夫にまみえぬという婦徳を象徴するものとされていたのである。
 貝の内側には、源氏物語、伊勢物語などの物語絵や花鳥絵、器具調度絵などが描かれており、361対、722枚の貝となっている。絵そのものは、入念細密かつ具体的で、彩色も鮮やか美麗であり、見事というほかはない。
 鏡台は、小箪笥の天板に2本の柱を建てて鏡を懸ける姿であり、綾杉地文様その他の蒔絵は他の調度と同様である。また、角赤手箱は、平箱の四角に布目を出し、朱漆を塗ったことからこの名称がある。中には身の回り品や化粧道具などが入れられていたとされている。
 昭和59年の秋、当館開館20周年特別展「大名婚礼調度展」が開催され、当館の「綾杉地獅子牡丹蒔絵婚礼調度」全点のほか、徳川美術館から国宝「初音蒔絵調度」、東京および京都の国立博物館その他からも名品が出品展示された。蒔絵を中心とする大名婚礼調度の学問的研究も近年深められているが、その研究の上でも、当館の綾杉地の婚礼調度は欠くべからざる逸品として常にとりあげられていることを附言しておきたい。


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