会陽事始め
 会陽といえば先ず第1に事始めの行事である。行事は、宝木造りに使用される道具磨ぎと修正会、会陽の成満を願って法会が行われる。
道具磨ぎ道具磨ぎ 10時〜11時

 世襲の寺棟梁岡嶋栄治郎(岡山市幸地崎) 長男正明の両氏が毎年担当しており、正明氏で五代目に当っている。大広間の正面に床を背にしてしめ縄を張った道具箱、円桶が用意され、宝木削りに使用される道具類が手入れされる。
 道具は、荒しこ・中しこ・仕上げ(各1挺)・内丸(2挺)の鉋類5挺に縦引き鋸・横引き鋸・溝切り鋸の鋸類3挺、手斧、鉈・小刀・金槌・木槌・差金の各1・木製ゲージ2点で合計16点の道具類である。この内で手入れを施す道具は、鉋・鋸・手斧・鉈・小刀でいわゆる切れ物類である。なお、槌類・差金・ゲージは別段手入れを施す必要のない道具である。木製ゲージは、宝木の直径、長さ、切り込みの寸法等を計るもので、特異な形状をしている。
 道具の手入れをする寺棟梁は、当日早朝より寺に出仕し、古式の烏帽子、白衣の素襖の装束を整え、定刻に作業を始める。道具磨ぎの作業は、両名が分担し行い、向かって左側で刃物を砥石にかけ、右側では鋸の目立が行われる。約40分で作業は終り、鉋を台に合わせ、鋸のひずみを正して道具磨きの行事は完了する。
法会(大般若経転読) 11時〜11時45分

 法会は、本堂で奉修され、修正会、会陽の無魔成満を願って大般若経の転読が行なわれ、山主が導師となって他に10名僧侶が奉仕する。山主は紫衣、錦の袈裟を使用し、職衆は白地の空衣に、輪違いおよび下り藤の紋のついた紫の紋白五條袈裟を着用する。
 導師は本尊供の修法を行い、他の僧侶が大般若経10巻の転読を初める。巻きの始めには「ダァーイ、ハンニャー」という気合いのこもった読み出しが聞こえ、一巻が終わると机上に音を立てて置き、次の巻に移る。経本は、そのすべてを読み上げるのではなく、経題を大声で読み上げ、初め経題共に七行、パラパラと転じて中程で五行読み更にパラパラと転じて最后からの三行を読み一巻を読み上げるという大般若転読独特の作法によって行われる。読み上げの速度は、職衆それぞれに異なり必ずしも同じ速度ではないので十人十色にあちらこちらでひびき合い、時に掛け合いのようにも聞こえる。10巻の転読が終わる頃導師が振鈴を行うと経頭が鐘を打って転読は終了する。続いて般若心経が1巻誦され、諸真言を唱えて終る。
 なお、この席には、寺棟梁を初めとする会陽関係者、新旧の祝主、総代、世話方も参列する。
 法会が終った後、客殿に全員が集い、山主より大会式執行の協力を依頼し、精進料理で酒宴を催す。ただし、この膳には古来よりの習慣に従い必ず小豆と味噌の団子汁を出す。この日から寺では、食事について完全に精進に調理をされたものを食べ最後の縁日法会が終わるまで続けられる。

 現在では、すでに行われなくなっているが、大正の初め頃までは、当日世話方が集り、すでに作り上げている牛玉串(串牛玉あるいは枝牛玉)を本堂に運び、本尊の左右の須弥壇上に積み上げる事が主な行事であった。その数は、3万本もあったと言われ、昭和の初め頃までは寺内で、事初めの事を「牛玉積み」と言っていた。そして終われば、玄関の部屋で世話方に団子汁を出し、寺棟梁も道具磨ぎが終われば台所で酒肴を出していた。これが現在のように変化してきたのは大正の末期から昭和の初めにかけて漸次変化したものである。
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