祭りの起源


 昭和三十四年、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されたこの祭りの起源は、、安隆上人(あんりゅうしょうにん)が寺を創設した約千二百年前の宝亀年間、奈良東大寺の良弁(ろうべん)僧正の高弟実忠上人(じっちゅうしょうにん)により修正会(しゅしょうえ)が伝えられたことに始まる。修正会とは正月に修する法会の意で、十四日間十数人の僧侶が天下泰平、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷を施すことである。そして満願の日に一年の御福を授ける意味で牛玉(ごおう)(右から西大寺、牛玉、宝印と書かれた護符)を信徒の年長者などに授けたところ、農家は作物がよく穫れ、厄年の人は厄を免れたといわれた。その功徳ゆえ皆が奪い合うようになり、紙では破れてしまうので、約五百年前の当時の住職忠阿上人(ちゅうあしょうにん)が牛玉を木に巻き付け(宝木)(しんぎ)信徒に投げ込むようになった。この時初めて「会陽」(春の意の「陽」に会うという説がある)と名付けられた。
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