江戸東京岡山を歩く 先人の息吹
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宇喜多秀家 肖像      前田家ゆかりの地に

児文字 宇喜多秀家の墓(板 橋)
宇喜多秀家の墓(板橋) 写真
宇喜多秀家の墓
中央丸い部分に「秀家卿」と刻まれている。
東光寺
港区芝の増上寺(徳川将軍家菩提寺)を本山とする浄土宗寺院
東光寺 写真
江戸の四宿の地に 板橋(東京都板橋区)は、中仙道第一番目の宿場町として栄えた町で、品川(東海道)・千住(日光街道)・内藤新宿(甲州街道)と並び江戸の「四宿」に数えられていました。その板橋に、室町時代の開山と伝わる東光寺という寺院があります。この寺の境内に、区の文化財に指定されている庚申塚や、地蔵菩薩巫像と並んで、宇喜多秀家の墓が建てられています。八丈島で亡くなった秀家の墓が、なぜ遠く離れた板橋の地にあるのでしょう。

八丈島から板橋へ 八丈島の宇喜多家は、長男秀高(孫九郎)から2家が、次男秀継(小平治)から5家が分かれ、加賀前田家の援助を受けながら島で存続しました。
 徳川幕府が滅び、世も明治と改まった翌年(1869)の4月、明治政府より八丈島の宇喜多一族赦免の布令が発せられました。明治3年8月、宇喜多一族71名は前田家のさしまわした便船に乗り、東京へ向かいました。品川に入港した宇喜多一族は、一時本郷の法真寺に50日ほど滞在ののち、前田家より板橋にあった加賀藩江戸下屋敷内に住宅を与えられ、ようやく旅装を解くことができたのです。明治6年になって明治政府は宇喜多家に板橋19,900坪の宅地を与え、長年の労を労いました。秀家の墓は当初この宅地内に子孫が建立したもので、中には秀家の遺品が納められていると伝えられています。のち、区画整理や戦災の影響で東光寺境内に移され、現在に至っています。

宇喜多一族について
 ・ 戦国宇喜多 - 宇喜多一族・家臣団のページ
法真寺
法真寺 東京大学赤門前にある浄土宗寺院
樋口一葉ゆかりの寺
 東京に到着した宇喜多一族が50日ほど滞在した文京区本郷の法真寺は、新5千円札の肖像となった明治の小説家・樋口一葉ゆかりの寺として知られています。一葉はこの寺の隣にあった家で、5歳から10歳までの5年間を過ごしました。のち小説家となった一葉は、「たけくらべ」「にごりえ」などの名作を発表しますが、明治29年(1896)、肺結核のため、24年の短い生涯を閉じました。
 法真寺では、命日の11月23日には文京一葉忌が開催されています。また境内には一葉関係の資料を収集展示した文京一葉会館が建てられています。
 交通:東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線 本郷三丁目駅
    東京メトロ南北線 東大前駅
宇喜多秀家の墓
東京都板橋区板橋4-13 東光寺境内

交通
JR埼京線 板橋駅から徒歩15分
東武東上線 下板橋駅から徒歩15分
都営三田線 新板橋駅から徒歩10分
秀家の墓(板橋)地図
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