江戸東京岡山を歩く 先人の息吹
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大賀ハス発祥の地(千葉市花見川区)
大賀ハス 写真
大賀ハス
「大賀ハス通り」の標識(上)
歩道にあるハスの絵のタイル(下)

周辺では、大賀ハスをテーマとしたまちづくりが行われている。
大賀ハス通り 写真
2000年前の花咲く 昭和26年(1951)3月30日、千葉市内の東京帝大検見川厚生農場の泥炭層から、約2000年前の古ハスの実が発見されました。発見者は岡山市出身の植物学者・大賀一郎博士で、博士は3粒発見された実のうち1粒の発芽に成功、翌年7月18日に見事に大輪の花を咲かせました。このニュースは国内外に報道され、この年11月17日付米国ライフ誌にも掲載されています。ハスは博士の姓を採って「大賀ハス」と名づけられました。
 ハスの実の発見地となった農場は現在東大検見川総合運動場となっています。発見地の近くにはハス池が作られ、6月から7月には大賀ハスが可憐な淡紅色の花を咲かせ、訪れる人の目を楽しませています。

研究と信仰に捧げた生涯 大賀博士は明治16年(1883)、岡山県賀陽郡川入村(現:岡山市川入)に生まれ、岡山中学から第一高等学校(東京)、そして東京帝国大学に学びました。古代ハスの研究を始めたのは、南満州鉄道株式会社社員となって大連(中国遼寧省大連市)に赴任した後の大正7年(1918)頃のことです。その後、米国やヨーロッパに遊学して古代ハスの研究や古種子の発芽実験を行ってその成果が認められ、さらに大賀ハスの発見により世界に知られる植物学者となりました。博士は70歳を超えても「あと 300年生きて研究する時間が欲しい」というほど研究意欲が旺盛な根っからの研究者でした。また博士は敬虔なクリスチャンでもあり、満州滞在時にも日曜学校を30余りも創設するなどキリスト教の伝道に努めました。
庭瀬城址の大賀ハス 写真
庭瀬城址 大賀一郎博士の故郷・庭瀬にも大賀ハスが分植されている。
 大賀ハスと千葉市
 2000年の時を超えて見事に開花した大賀ハスは、その後博士の故郷・岡山市の後楽園や庭瀬城址をはじめ、日本国内はもとより世界各地に分植され、博士の功績と生命の神秘を今に伝えています。
 発祥の地となった千葉市では、大賀ハスが市の花に指定されており、また市のシンボルキャラクターもハスの花をイメージしたものとなっています。検見川地区では、通りに「大賀ハス通り」の名が付けられ、歩道のタイルにハスの絵が描かれています。ハスの季節には鑑賞会も開催され、大賀ハスは千葉市のシンボルとしてすっかり定着しているようです。
大賀ハス発祥の地
千葉市花見川区朝日が丘町
  東京大学検見川総合運動場内
交通
JR総武本線新検見川駅から徒歩20分
京成電鉄検見川駅から徒歩20分
大賀ハス発祥の地 地図
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