江戸東京岡山を歩く 先人の息吹
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土肥実平       頼朝・実平、危機一髪!

三つ巴 しとどの窟(神奈川県湯河原町)
しとどの窟 写真
しとどの窟        窟内の石仏群
窟内の石仏群 写真
九死に一生 平治の乱に敗れ、伊豆に流されていた源頼朝は、治承4年(1180)8月17日、北条時政や土肥実平らの助力を得て、ついに平家打倒の兵を挙げました。伊豆国目代・山木兼隆を破って初戦を飾りますが、石橋山合戦では自軍の十倍の兵力を有する大庭景親軍に大敗を喫します。頼朝は主従わずか7名で山中に逃れ、この近辺を領地とする土肥実平・遠平父子の案内で洞窟や大木の洞に隠れて敵の追手をかわしました(七騎落)。この時、洞窟に隠れていた頼朝主従は平家方の梶原景時に発見されてしまいますが、景時はわざと見逃し、頼朝を助けたという逸話が残っています。
 九死に一生を得た頼朝は、この後、遠平が手配した小船で安房国(千葉県南部)に渡って再起を図ります。敗れたとはいえ、頼朝は源氏嫡流の御曹司。坂東の武者たちが次々にはせ参じ、敗戦からわずか1月半後の10月7日、大軍を率いて堂々鎌倉に入り、着々と勢力を固めていきます。弟・源義経と初めて対面するのはこの半月後、10月21日のことです。
 
地蔵信仰の霊地 頼朝・実平一行が潜伏したという洞窟は「しとどの窟(いわや)」と呼ばれ、バス停から急な山道を20分ほど下った山中に今も残されています。しとど(鵐・巫鳥)とは、小鳥のことで、頼朝が洞窟に入る際にしとどが飛び立ったことからこの名が付けられています。関東大震災で入り口付近が崩れたため、往時より浅くなっており、奥行きは現在10メートルほどです。付近は地蔵信仰の霊地で、窟に至る急峻な道沿いにも、数多くの石仏地蔵が並んでいますが、洞窟内にも20体あまりの石仏が安置されています。
土肥城址(城山山頂) 写真
土肥城址(城山山頂) 
 風光明媚な土肥城址
 湯河原町は、かつて土肥氏領であったため、しとどの窟はじめ、土肥氏や源頼朝に関する史跡が数多く残されています。窟がある湯河原駅北西の山は城山と呼ばれており、かつて土肥氏の城が築かれたところで、山頂には「土肥城趾」の碑が建てられていますが、城が築かれた時期やその規模など、詳しいことは分かっていません。
 現在、城山一帯には史跡を巡るハイキングコースが整備されており、特に城山山頂は、相模湾はもとより、伊豆半島、初島、大島までもが一望できるコース最高の眺望スポットとなっています。
しとどの窟(いわや)
神奈川県湯河原町城堀
 
交通
JR湯河原駅からバス40分 
 しとどの窟バス停下車 徒歩20分
しとどの窟 地図
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