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土肥実平          源平合戦で大活躍

三つ巴 土肥氏館跡(神奈川県湯河原町)
土肥実平夫妻像 写真
土肥実平夫妻の像 JR湯河原駅前広場に立つ。
土肥氏館跡碑 写真






土肥氏館跡碑

頼朝挙兵780年を記念して建てられた。
源頼朝股肱の臣 土肥実平は、10世紀頃から関東に勢力を伸ばした平氏の一族の出で、相模国土肥郷(神奈川県湯河原町)に住んで土肥を名字としました。源頼朝が伊豆で平家打倒の兵を挙げると嫡男遠平とともに参画し、以後数々の合戦に出陣、頼朝の信任篤い将となりました。富士川の合戦後に頼朝・義経兄弟が対面した際にはその取次ぎをしたことで知られています。平家追討の戦いでは義経を補佐して功を立て、備前・備中・備後の守護職が、嫡男遠平に安芸国内の地頭職が与えられています。土肥氏と西国との関わりはここに始まります。
 平家滅亡後も、かつて補佐していた義経追討や、奥州征伐などの合戦にも加わり、頼朝股肱の臣として常に第一線で活躍を続けました。

 
小早川家の祖 湯河原町のJR湯河原駅周辺は、かつて実平が屋敷を構えた地で、今でも「土肥」の地名が残されており、駅前広場に館跡碑と、実平夫妻の銅像が建てられています。
 土肥氏の領地はこの近辺だけでなく、小田原市内にも及び、実平の嫡男・遠平は、現在の小田原市内にあった早川荘からとった小早川を名字とし、また小田原に城を築いています。のち、遠平の嫡流は相模の領地を継いで「土肥」を名乗り、庶流は安芸の領地を継いで「小早川」を氏としました。土肥家は鎌倉時代に勢力を失いますが、小早川家は西国で勢力を固め、山陽を代表する武家となりました。
 土肥一族が備前の地の領主に返り咲くのは、慶長5年(1600)の関が原合戦後のことで、宇喜多秀家に変わって小早川秀秋が備前・美作に封じられました。しかし秀秋は2年足らずで病没、鎌倉以来の名門小早川家は断絶することになります。
小早川家について
  小早川秀秋 -The LIt City Museum城下町>歴代岡山城主
  小早川家 -The LIt City Museum城下町>歴代岡山城主
土肥(小早川)遠平の墓
土肥一族の墓 手前の石柱には「小早川祖 土肥遠平之墓」とある。
 土肥氏菩提寺・城願寺
 JR湯河原駅背後の城山山腹には土肥氏菩提寺・城願寺があり、ここが土肥氏館の持仏堂跡と言われています。
 城願寺は実平が建立した寺院で、境内には土肥実平・遠平父子の木像、土肥氏一族の墓地や、樹齢800年の実平手植えのビャクシンの大樹(国指定天然記念物)、七騎堂などがあり、湯河原の観光名所となっています。七騎堂は、石橋山合戦に敗れた源頼朝主従七人の武者像(土肥実平・遠平、土屋宗遠、岡崎義実、佐々木信綱、土肥の小舎人七郎丸)が安置されている堂で、毎年4月の第一日曜日の土肥祭・源頼朝旗挙げ武者行列の開催時のみ堂内が公開されています。
土肥氏館跡(土肥実平夫妻像)
神奈川県湯河原町土肥
  (JR湯河原駅前広場内)
 
交通
JR湯河原駅
土肥屋敷跡 地図
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