| 平成17年8月の開館から5年を経た岡山市デジタルミュージアム。寄附や寄託(展示公開のため長期間預かること)や岡山市の他部局からの所管替えで、収蔵品も充実してきました。 地域情報を無尽蔵に多く残すにはデジタル技術の活用も有効ですが、現物がなければそれが発散する雰囲気は伝わらないし、歴史を目の当たりにする感動も薄れます。 歴史や文化を後世に伝えようと、多くの市民が保存へ努力することで地域の歴史遺産が維持されています。形あるものはいつか朽ち滅びる定めで、時計の針は止められないけれど、劣化を遅らせ、少しでも現状を維持することで、歴史遺産に直接触れる機会が次世代へ受け継がれて行きます。収蔵スペースの捻出にはいつも苦心が伴いますが、そういう試練を通ってこそ、歴史への洞察と共感は導き出されます。 文化が「精神の高さ」であるなら、新しい文化の創造は、歴史を継承する情熱の中から生まれます。地域の博物館がどのような役割を果たすべきかは、そういう文脈の中で熟考しなければなりません。 博物館の悠久の生命からすれば5年はほんの一瞬ですが、それでも多くの篤志で収蔵品は充実してきました。展示室にはその一部しか出品できず、研究不足で解説が行き届かないものもありますが、なるべく幅広い公開を心がけました。 岡山市の博物館“デジタルミュージアム”へ、貴重な資料をご提供下さった皆様に、厚く御礼を申し上げます。この展示から、「市民の博物館」であるデジタルミュージアムの将来にも、思いを巡らせていただければ幸いです。 |
| 名称 | 企画展 「岡山市デジタルミュージアムの新収蔵品 〜これまでの歩み〜」 |
| 会期 | 2011年4月19日(火)~5月22日(日) [休館日] 毎週月曜日 [開館時間] 午前10時~午後6時 入館は午後5時30分まで 注:展示準備及び撤収のため、4月4日(月)~18日(月)及び5月23日(月)~6月3日(金)(定期休館日を含む)の間休館します。 |
| 会場 | 岡山市デジタルミュージアム 4階企画展示室 〒700-0024 岡山市北区駅元町15-1 |
| 入場料 | 一般 300円 高大生 200円(5階常設展示室から連続展示) 【共通:「大正時代のおかやまプレ展示会第二弾」「木村コレクションにみる備前焼の美」「犬島の風景 精錬所跡」】 (1)-(4)の方は入場料免除 1:65歳以上の方(シルバーカード等年齢を確認できるものをご提示下さい) 2:身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、自立支援医療受給者証、心身障害者医療費受給資格者証、特定疾患医療受給者証、小児慢性特定疾患医療受診券を有する方と付き添いの方1名 (手帳、又は資格者証の原本の掲示が必要です) 3:介護保険被保険者証をお持ちで要介護認定を受けた方と付き添いの方1名(手帳、又は資格者証の原本の掲示が必要です) 4:保育園児、幼稚園児、小中学生を学校活動のために引率して入館する場合における引率者 (事前に免除申請書をご提出下さい。詳しくはこちら) |
| 主催 | 岡山市デジタルミュージアム |
| 展示資料 | 36点 |
| 同時開催 | 『大正時代のおかやまプレ展示会第二弾』『木村コレクションにみる備前焼の美』 |
| 問合せ先 | 岡山市デジタルミュージアム TEL(086)-898-3000 |
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| 日時 | 2011年5月1日(日)、5月7日(土) 午後2時~午後3時(約1時間) |
| 場所 | 岡山市デジタルミュージアム4階展示室 |
| 当館学芸員主査 | 飯島章仁 |
| 内容 | 岡山市デジタルミュージアムの新収蔵品について |
| 備考 | 予約不要 |
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第一部 岡山の歴史
| 岡山市の博物館、デジタルミュージアムの収集は、どこに目標を定めて行われるべきでしょうか。議論はさまざまにありますが、さしあたっては都市・岡山の歴史に焦点が当てられます。 ヨーロッパなど海外の歴史都市を訪れると、都市が歴史を開き、文化を形成する推進力になってきたことが、市街地の景観や豊富な文化遺産から実感されます。ここで営まれた高い精神活動が文化を生む力となり、都市は歴史の重要な舞台となってきました。 ローマ、アテネ、イスタンブール、ヴェネツィア、プラハと、古代の文明も中世やルネサンスの文化も、歴史は都市の名とともに記憶されています。西安、北京、ハノイなど、アジアにも多数の歴史都市があります。しかし現代には個性ある文化を欠き、ステレオタイプ化した都市も多くなってきています。 近代化を急いだ明治という時代には、海外の知識や技術を中央から地方へ行き渡らせる政策が求められていました。しかしこれからの時代には、市民に最も近い位置にある共同体が、個々の住民の活動を汲んで豊かな文化を育てる力をもたなければなりません。 岡山市の中心街は400年あまり前の岡山城築城に始まり、120年あまり前の市政施行を経て、戦災とそこからの復興によって歴史の輪郭を刻んできました。これに足守、吉備津、庭瀬、西大寺、建部、灘崎など、独自の歴史を誇る多数の隣接地域が合流し、ひとつの自治体として緊密な関係を結びつつあります。それらを包摂する市民共同体の構築は、終わることのない不断の試みですが、その歴史を語れるようにするのが当館の使命です。 |
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東禅寺旧蔵 大般若経残闕(岡山市指定重要文化財) 弘治3(1557)年銘(戦国時代) 2008(平成20)年度 寄託(奥迫川熊野神社蔵) 岡山市南区の旧灘崎町に属する奥迫川の集落は、児島半島へ切れ込んでいる谷の奥に位置しています。ここは樹齢500年といわれ、山の急斜面にそびえる大山桜の巨樹で知られていますが、集落の中の熊野神社には弘治3年(1557年、戦国時代)の記年がある大般若経(大般若波羅蜜多経)が伝わっています。 これは当初は600巻余りになる大部の経典で、損傷が激しいものの、そのうちの69巻分と38の断簡が残存しています。密教や禅宗系の大規模な寺院がしばしば備えたといわれるこの経典は、この地域にかつて繁栄した寺院があったことの証左です。いくつかの巻は上端に「東禅寺」の墨書があり、これが経典の当初の所蔵先を示しているとみられます。 奥迫川の谷の入口には常山城址があり、この地域は中世の歴史の光芒を秘めています。 |
第二部 岡山の近代化
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「岡山市」には、行政府としての「岡山市役所」と、そこに住む「岡山市民の共同体」という2つの意味があります。 為政者と住民の間には寛恕と協調の精神がなければ、封建時代の城下町においても市政の運営は叶わなかったでしょうけれど、明治22年に自治体としての「岡山市」が誕生したとき、ともかくも近代的な法体系の下で市政が敷かれ、制度面での市民共同体への道は踏み出されたのでした。 続く大正時代は産業資本主義の勃興期で、近代の都市的生活が岡山市民の間にも浸透し始めました。工場やオフィスに勤める都市の労働者層が初めて生まれ、百貨店の誕生などに象徴される現代的な消費文化がこの時代に淵源を見せています。都市人口の急激な膨張が公衆衛生と都市計画の必要を認識させ、労働運動や福祉活動も盛んになりました。 昭和7年に描かれた吉田初三郎の「岡山市街鳥瞰図」は、こうした岡山市の最初の都市的発展を、巧みな構図と躍動感ある筆致で捉えています。この時期に高揚した都市的文化は戦争の惨禍で灰燼に帰しましたが、続く高度経済成長期とは大正~昭和戦前期の都市的発展の回復期にほかならなかったのです。 |
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引札 岡山県備前児島小倉帯前掛地製造所引網 西原八重衛門 明治時代 2009(平成21)年度 寄贈 江戸時代から昭和初期まで商店が広告のために配った引札とは、いまでいうチラシにあたるもの。これは多色刷りの錦絵の技法を引く明治の引札で、当時の製造業や商業の様子が具体的にわかる一資料です。人力車も描かれています。 |
![]() 吉田初三郎 岡山市街鳥瞰図 1932(昭和7)年、六曲一雙屏風 2010(平成22)年度 岡山市観光コンベンション推進課より移管 |
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| 京都生まれの吉田初三郎は、油彩画家の鹿子木孟郎に学び、大正時代から昭和戦前期を中心に全国各地の都市や観光地や鉄道沿線を鳥瞰図に描いて、一世を風靡した画家です。 現在は屏風仕立てになっている岡山市街鳥瞰図は、戦後は岡山城天守閣で保管されてきましたが、戦災をどうやって免れたかはよくわからなくなっています。岡山市産業課の主催で昭和7年に開催された岡山市観光博覧会でパンフレットが印刷されていますが、その掲載図版が屏風の画と同一構図で、書き込み文字の大きさにのみ変更がありますので、屏風はこのパンフレットの図版の原画を保存したものであったと推定されます。このパンフレットの跋文で、初三郎は岡山の古謡「米のなる木」から一節を引き、大切な米がどのようにして出来るかを知らない(「米のなる木をまだ知らぬ」)と嘯いてみせた岡山藩主、池田綱政の逸話を紹介して、豊かで生産力が高く、鷹揚で朗らかな岡山の土地と人々の美質を讃えています。 |
この鳥瞰図には、そうした明るくて伸びやかな雰囲気が充溢しており、初三郎の作品の中でも充実の度が高いもののように思えます。岡山市は恩師である鹿子木の出身地でもあり、初三郎はこの作品に大いに張り切ったようです。この鳥瞰図でも、描かれる対象が魚眼レンズのような画角でデフォルメされており、鉄道路線は東京や、四国の松山や、海の彼方の釜山にまで続いています。視線を東向きに取り、後楽園の借景で知られる緑豊かな操山を正面に据え、後楽園と、岡山城と、舟の発着で賑わった京橋かいわいを3つの焦点にして、構図をまとめています。鉄道駅から市街地のほうを見渡すのはこの都市を訪れた来訪者の視点であり、それを取り入れた斬新な構図であるということができます。 |
第三部 戦後の造形活動
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岡山の街で制作し、ここを舞台に活動して、多くの後進を育てた芸術家の軌跡を作品でたどれるようにすることは、地域の博物館が取り組むべき課題のひとつです。 昭和20年6月29日の空襲で市街地の大半を失い、廃墟の中から再出発した岡山市民にとって、復興の時期の記憶とその中で光芒を放った戦後の文化の輝きは、忘れることのできないものです。 焼け跡がまだ広がっていた岡山では、具象と抽象のいずれの道でもそれぞれの前衛をめざす画家たちが、早くも活動の産声をあげ、苦闘の日々を過ごしていました。この時代の造形表現には芸術家としての信念に基づく自由な活動を行えるようになった歓びとともに、苛烈な時代の状況を背負って生きた人々の、凛とした峻厳さを感じることもできるかも知れません。戦争で多くが失われましたが、戦後の一時期に高揚した精神のあり方は、いまも岡山の造形活動に大きな反響を残しています。 地域にとどまって研鑽を重ねた造形作家が、岡山の山並みや沃野と、そこで暮らす人々の姿を美しく描きとどめる機会を得たのでした。 |
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岡山市戦災復興区画整理事業記録写真(撮影:守谷大典) 1950年代後半~1960年代前半(昭和30年代)頃 2008(平成20)年度 寄贈 戦災後、道路網の整備を進めて都市を近代化させようと、新しい都市計画が策定され、区画整理事業が進められました。こうして現在の都市の骨格が定まり、続く高度経済成長時代の自動車の激増に対応することができたのでしたが、焼け跡から復興した家屋が多く立ち退きを求められ、地域のコミュニティにも大きな影響を残したのでした。 |
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奥田 仁 「崖」 1951(昭和26)年、油彩画 2010(平成22)年度 寄託(個人蔵) 奥田仁(1917~1999年)は、京都の独立美術研究所でデッサンと油彩画を学び、戦時中に帰郷して、以後は岡山で制作を続けた油彩画家です。戦後は昭和22年に最初の個展を開催し、四季の草花や、風景、静物など、身近な題材を中心にした作品を多く発表してきました。この作品が描かれた1951(昭和26)年から美術家団体を退き、無所属で活動を続けました。 |
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上岡麟一 「作品」 制作年不明、油彩画 2010(平成22)年度 寄託(個人蔵) 上岡麟一(1912~2005年)は、岡山市で商業デザイナーとしても活躍した人ですが、フランスでキュビズムを学び、前衛芸術のあり方を、身をもって実践した画家、坂田一男が戦後に設立した芸術運動、A・G・O(アヴァンギャルド・オカヤマ)の中核メンバーのひとりとして活躍しました。作品は、理知的な構成の中に、平和へのメッセージなどを込めた象徴的な要素を散りばめています。 |
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竹内 清 「森のうた」 1967(昭和42)年、油彩画 2009(平成21)年度 寄贈 岡山市内で生まれ、京都で油彩画を学んだ竹内清(1911~2008年)は、1935年から帰郷して二科展をおもな活動の舞台に作品を描き続けた画家ですが、デザイナーとしても数々の業績を残しています。坂田一男のA・G・Oに客員で出品するなど、岡山で抽象芸術の世界を開拓した重要なひとりでした。空襲の体験もあり、キリスト教美術の世界へ惹かれ、晩年は南欧の古い聖堂をモチーフにした作品をしばしば描いています。 |
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新谷良造 「水差し」 1999(平成11)年頃、ガラス 2010(平成22)年度 岡山市立オリエント美術館より移管 新谷良造(1932~2005年)は、福岡県に生まれて各地のガラス工場で成形技術者として活躍し、熟練の技術を鍛えました。1978年から倉敷ガラスの協力者となり、暖かみのある手作りのガラス器を日常の生活に広める事業に参加。1997年には作家として独立し、使いやすさを兼ね備えながらも、よどみのない、力強い造形感覚で、日用の食器や花器などを多数制作しました。 |
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赤澤清和 「花器」 2004(平成16)年、ガラス 2010(平成22)年度 岡山市立オリエント美術館より移管 岡山市に生まれ、青森県でガラス作家の石井康治に学んだ赤澤清和(1973~2005年)は、華麗な色遣いとエネルギッシュな力動感に満ちた新鮮な感覚の作品を、31年の生涯に多く残した岡山市のガラス作家です。花器や茶器、食器など、日常の用途のある作品の分野に取り組んでおり、それぞれに実用性も兼ね備えています。 |
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