このページのトップ



現在位置 :  トップページ > 観光・文化・イベント >  文化(音楽・アート・まつり) >  岡山シティミュージアム >  第41回 岡山戦災の記録と写真展 空襲はいかにして行われたか1941-1945



ここから本文です。

第41回 岡山戦災の記録と写真展 空襲はいかにして行われたか1941-1945

戦争が始まった頃、まだ少年だった映画作家の大林宣彦さんは、尾道で「ハワイカイセン」と題した絵を描きました。1941年(昭和16)12月8日にハワイを奇襲する日本軍の飛行機とアメリカ軍の軍艦が描かれています。また、戦争が長引くなかで、岡山県井原市出身の洋画家倉橋英男さんは東京在住中の1944年(昭和19)11月24日に「ひま*1と飛行機雲」と題する油彩画を描きました。青灰色の空の下に緑の葉と軒端が描かれたこの絵は、何気ない日常の風景のように見えます。しかし、この日はマリアナ諸島から飛び立ったB29が東京を初めて空襲した日であり、その後の激しい空襲を暗示するかのようにB29の飛行機雲が克明に描かれ、その裏面には当時の不穏な状況を表わす言葉が書かれています。この二人に限らず、日本に暮らす人々はみな、いやおうなく戦争に巻き込まれ、民間人も空襲などで大きな被害に遭うことになりました。

一方で、なぜ、そのような空襲が行われたのか、またどのようなものだったかという理由や経過は、明かされることのないまま年月が過ぎていきました。

今から40年前の1978年(昭和53)、太平洋戦争に関する米軍資料が機密解除されました。これ以降、膨大な米軍資料に関する研究をとおして、日本への空襲がどのように準備され、終戦を迎えるまでにどのような攻撃が行われ、それはどのような過程で決定され、実行されたのかという、空襲そのものの全容が次第に明らかになりつつあります。岡山市を含め、66もの都市を灰塵にした日本本土空襲とはどういうものだったのでしょうか。

今年の岡山戦災の記録と写真展では、日本における米軍資料研究の第一人者である工藤洋三さん監修のもと、岡山空襲を含む、空襲がいかにして行われたのかを当時の人々の記録や資料とともにご紹介します。

注1)ひま:飛行機や戦車などの運転に必要な高級潤滑油生成用として、全国的に空閑地を利用したひまの栽培が推奨された。トウゴマ。3メートルほどの高さまで伸び、8月下旬から9月下旬が収穫期で、1942年(昭和17)2月には、ひまの収穫目標として岡山県に509700本が割り当てられ、この年には3970斤(1斤=600グラムとして計算すると18,582キログラム)の油がとれている。

岡山空襲について

1944年(昭和19)から翌年にかけて、日本全土において市街地を対象とした大規模な空襲が米軍によって行われました。岡山市の場合は1945年(昭和20)6月29日に大規模な空襲を受け、当時の市街地の63パーセントを焼失し、少なくとも1737人(注2)の死者が出ました。

注2)2000人をこえるという説もあります。

開催概要

  • 開催期間 平成30年6月8日(金曜日)から7月1日(日曜日)まで
  • 開催場所 岡山シティミュージアム 4階企画展示室・5階岡山空襲展示室
  • 開館時間 午前10時から午後6時(最終入場は午後5時30分まで)
  • 休館日 6月11日(月曜日)、18日(月曜日)、25日(月曜日)

観覧料

無料

より良いホームページ作りのため、みなさまのご意見をお聞かせください。

質問1 : このページの情報は役に立ちましたか?
質問2 : このページの情報は見つけやすかったですか?


このページに関するお問い合わせ

岡山シティミュージアム
電話:086-898-3000 ファクス:086-898-3003
所在地:〒700-0024 岡山市北区駅元町15-1[地図
Eメールでのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。


ここまでが本文です。ここからはフッタ(共通部分)です。