7. 旧鷹匠町 [現、天神町・弓之町・出石町一丁目]

江戸時代の初めつくられた侍町です。当時、町の北端に外曲輪門があり、番所がおかれました。

町には鷹匠や鷹方が多く住んでいたため、この名がついたと考えられています。その後、元禄9年(1696)に町の北部に馬100騎を収容する厩(うまや)が建てられましたが、安永元年(1772)、江戸大火で辰の口の藩厩が焼失したため江戸に移され、跡地が池田信濃守家来の屋敷になったと記録されています。

鷹狩とは、飼い慣らした鷹により野鳥やうさぎなどを獲らせる狩猟です。古来から行われていましたが近世になって制度化され、武芸として取り入れられ、大名の民情視察の目的でも、さかんに行われました。鷹匠頭・鷹匠・鳥見・餌刺し・犬飼などの役職が置かれました。

岡山藩では寛永10年(1633)、船戸新五左衛門が初代鷹匠頭となり、以後明治2年(1869)に廃止されるまで34代の鷹匠が置かれました。城下に近い狩場は高倉山・龍之口山・半田山などがあり、主に農作業に支障のない冬季に狩りが行われていたようです。

鷹方は鷹狩だけでなく、猪や鹿などの狩り、魚の漁についても権限を持っており、また狩場の下草刈り取り禁止、祇園用水での投網禁止などの触れを出したと記録されています。

明治11年(1878)に弓之町に編入され、昭和39年(1964)に住居表示事業の実施により弓之町・天神町・出石町一丁目に分かれました。