第14代城主 池田章政(いけだあきまさ) 明治新体制に貢献、最後の岡山藩主

天保7年(1836)生〜明治36年(1903)没
城主期間 明治元年(1868)〜明治2年(1869)
父・相良頼之(人吉藩主) 母・慶壽院
別称 政詮、満次郎
叙位叙任 従四位下、左近少将
法名 珠国院殿琢堂勲輝大居士
墓所 岡山市円山 曹源寺内池田家墓所

■幕末維新に活躍
肥後人吉藩主・相良頼之の二男に生まれる。曾祖父の相良長寛が第8代岡山藩主・池田宗政の二男であった縁で、弘化4年(1847)、岡山藩の支藩である鴨方藩主・池田政善の養子に迎えられる。岡山藩内で尊王攘夷論が高まるにつれ信望を集め、明治元年(1868)、実兄・徳川慶喜との対決を嫌った池田茂政の養嗣子となり、茂政隠居により岡山藩主となる。戊辰戦争では朝廷の命を受け、関東・東北・北海道方面にまで出陣した。

■維新後
明治2年(1869)、版籍奉還を行って朝廷から岡山藩知事に任じられるが、明治4年(1871)の廃藩置県で藩知事を免ぜられ、東京に移住する。ここに岡山城は藩の府城たる役割を終え、国の所有となった。その後章政は、貴族院議員、第十五国立銀行頭取などを務め、明治17年(1884)の華族令により侯爵を授けられた。

池田章政 写真
池田章政
(岡山大学附属図書館所蔵)

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