終戦直後の岡山の姿
昭和22年の岡山市街パノラマ図

昭和20年6月29日の大空襲により、岡山市は一夜にして焦土と化しました。
ここでご紹介する岡山市街パノラマ図には、終戦後、復興への道を歩み始めた岡山の姿が描かれています。

昭和天皇は、昭和21年から29年の9年間にわたり全国を巡幸され、岡山には昭和22年12月に行幸されました。
この時、当時の田中弘道岡山市長が、陛下にご説明しやすいようにと制作されたのが、この岡山市街パノラマ図です。

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昭和天皇 岡山城跡に [写真を拡大]

昭和22年12月10日、県立第一岡山中学校にお成りになった陛下は、城跡の石垣に立ち、奉迎の市民に帽子をお振りになりました。

岡山城史(昭和58年 岡山市発行) より

岡山市街パノラマ図について

この図は、当時岡山市で建築事務所を営んでいた佐藤重夫氏が描いたものです。
佐藤重夫氏はその後、広島大学工学部教授、広島大学工学部名誉教授、国立呉工業高等専門学校校長を歴任されました。
現在、このパノラマ図は岡山市立中央図書館で保管していますが、インターネットによる公開に先立ち、佐藤氏へ手紙を差し上げたところ、お礼のお手紙をいただきましたので、その一部を紹介いたします。

拝復 晩秋たちまち冬の寒さ厳しくなり、そのかわり山里の紅葉は赤さが一時にかわり世相の荒れを包んでくれました。
さて、(平成14年)11月20日にお差出し下さった、戦災直後の焼土岡山市の景の塀風仕立の四方の図、御保管下さって何よりと御礼申し上げます。
あの節は戦災後、昭和天皇が最初に焼けた多くの都市をお見舞い下さった昭和22年、当時の岡山市の営繕建築課長が、私の旧六高先輩である(故)原田という人でして、このような景観は建築の透視図の得意の者に書いてもらった方がよいとの考えで、内山下の小学校のペントハウスの屋上より四方、北は金山南は西大寺町京橋方面から、東は瓶井の多宝塔と、西は焼けた駅前から曲がりくねった電車通りとそれに沿った黒焼の銀行等を画き、市長が陛下に御説明しやすいように日本画風に画いたものです。
(以下略)

平成14年11月21日 吉日
佐 藤 重 夫

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