おきた姫伝説は、本当のことですか? とじる


沖田神社(岡山市沖元)


沖田神社本殿下にまつられている五輪塔とほこら(『沖新田開墾三百年記念史』より)

答え1692年の沖新田の堤防工事で、最後の潮止め工事がうまくいかず、「きた」という女性が自分から人柱(ひとばしら)となって竜神に捧げられた、という伝説があります。「人柱」とは、生きた人間を自然の神への捧げ物として海や川に沈めることで、「竜神」は、雨や水の神といわれています。つまり、堤防工事がうまくいかないのは、海に住む竜神がおこっているためで、人柱を立てたことで荒れる海を静めた、というものです。

この「きた」という女性はふつう「おきた」といわれ、沖田神社との関係も言い伝えられていますが、いまだに決定的な根拠や史料はありません。ただ、30年ほど前におこなわれた、沖田神社の本殿改築工事の時に、本殿の床下から祠(ほこら)と五輪塔(ごりんとう)が発見され、これこそ「おきた姫」をまつっている証拠ともされましたが、昔の沖田神社だった「古宮神社」にはこの伝説が伝わっていないことなどから、いぜん不明のままです。

しかし、おきた姫伝説が史実であれ、また伝説であれ、この地域に暮らす人々には現在も確実に語りつがれています。それは、政田小学校での「ポプラ祭り」などでも、子どもたちはそれらを調べ、自分たちの地域を支えた人として紹介をしていることからもうかがえます。ですから、この伝説を証拠がないから、ということで史実ではない、としてしまうことには疑問があります。むしろこの沖新田で生活をする上では、田の作業や生活すること自体、大変な苦労が必要でした。この「死ぬほど苦しい」生活の中で、人々はおきた姫が沖新田をつくるために、自らの身を投げた伝説を語り伝えていくことは、この地域に住む人々に対しても今なお、深い感謝と生活をしていくための力となっているのです。


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