威容を誇る天守閣 1

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古式な様式の天守閣
■慶長期の古式な天守閣
 宇喜多秀家が築いた岡山城天守閣は、慶長2年(1597)頃の竣工と言われている。この時期は、豊臣秀吉による天下統一事業も終わり、全国で城と城下町の整備が促進された時期であったが、今日に残る近世城郭が築城されたのは関ヶ原合戦後のことなので、この頃に築造された天守閣は少ない。岡山城以外では、会津若松城・松本城・広島城などで、中でも岡山城は最も古式な様式で造られ、意匠を凝らした天守閣であった。
■天守閣の様式
 岡山城天守閣は、大入母屋造りの基部に、高楼を重ねた、「望楼型」と呼ばれる様式をしている。この様式は、犬山城・丸岡城など初期の天守によく見られるが、世界遺産で名高い姫路城もこの様式である。外観を見ると、外壁に黒塗りの下見板を張っているため全体的に黒色が強調された姿をしており、それに金箔瓦が彩を添えていた。「烏城」「金烏城」という異称はこれに由来する。この下見板も、初期の天守によく用いられた手法である。
■複合式天守閣
一見ひとつの建物のように見えるが、岡山城天守閣の西側三分の一は、塩蔵と呼ばれる別の櫓である。このような渡櫓なしで直接櫓が天守閣に付属している形式を「複合式天守」という。岡山城の他に、犬山城・松江城・小田原城などがある。特に松江城は様式も岡山城と同じ望楼式で、層の重なり方も似ており、現存する天守の中では最も岡山城に近い天守閣といえる。
写真 岡山城天守閣
岡山城天守閣(再建)
写真 会津若松城 写真 松本城 写真 広島城
岡山城天守と同時期築造の天守
左から会津若松城・松本城・広島城天守閣。若松・松本城は大入母屋屋根を持たない層塔式。広島城は望楼式だが、外観は層塔式に近い。

写真 犬山城 写真 松江城 写真 小田原城
付櫓を有する複合式の天守閣
左から犬山城・松江城・小田原城。犬山城は日本最古の天守といわれる国宝天守。
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