おかやまの埋もれた歴史再発見
No.1  史跡岡山城跡
中の段北部で発見された築城期の石垣  今日の岡山市街地の礎となった岡山城は、豊臣秀吉の時代にも藩政の城府に活用されて明治維新まで存続した、全国的にも数少ない例の一つで、まさに歴史的な名城といえます。
  16世紀末に宇喜多秀家が築城し、関ヶ原合戦後に小早川秀秋・池田忠継・池田忠雄と三代にわたる城主の近代改装を経て、1630年ごろに完成をみていて、名城は一日にして成らずを示しています。
  城郭構造は、本丸を中核にして南西の一方向に城地の広がる梯郭式の配置で、堀で区割りされた城下町を含む6つの郭から成り立っていて、総面積が約113haありました。しかし、明治維新後に城地が市街地化されたため、今日では本丸と周囲の内堀の5・7が城郭の面影を残すだけとなっています。
  本丸は、平山城特有の一二三段(ひふみのだん=三段構)で構成されていますが、各石垣に築城期と後の三代の城主による改装が、積方の様相の差となって反映されています。本丸跡の史跡整備に伴う発掘調査で、埋殺しにされた築城期や築城前の石山城時代の石垣が発見されています。
  史跡整備では、江戸時代の歴史的環境の整備とともに、築城期の石垣を掘り出して露出展示できる方法を考えています。
(岡山市教育委員会元文化財課長 出宮徳向)

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