イメージ画像 岡山マスカット創始者のものがたりイメージ画像
大森熊太郎と山内善男

 明治維新の後、日本は殖産興業策に乗り出し、その一環としてブドウ、リンゴ、桃などの果樹栽培が奨励されました。

 その頃、栢谷村(現在の岡山市栢谷)に国文や漢学に長じた森芳滋(1832-1897)を中心とする学問グループがありました。のちにマスカット栽培の創始者となる山内善男(1844-1920)と大森熊太郎(1851-1902)も、森のもとで農学を学びました。

 明治8年(1875)に士族授産のため官有林の払い下げを受けた山内善男と大森熊太郎は、友人から富国フランスの秘密はブドウにあると聞き、また荒れ地でも育つことからブドウの栽培に挑戦することにしました。

復元された原始温室の写真

マスカットの原始温室(復元)
 (岡山市栢谷)

 明治11年(1878)、北海道からアメリカ系の苗500本を導入したのが最初ですが、できたブドウは酸っぱすぎてとても食べられないものでした。

 ちょうどその頃、政府は欧州ブドウの栽培と醸造技術の確立を目的として、国営のブドウ園を立ち上げました。明治13年(1880)、現在の兵庫県稲美町に開設された「播州葡萄園」です。30ヘクタールを超える敷地に約11万本のブドウが植えられ、日本初のガラス温室も整備されたこのブドウ園に、山内と大森は数年間、毎年のように通いました。

 栽培技術を学び、岡山の気候に適した品種を模索した山内と大森は、明治19年(1886)、岡山県初のガラス温室を建設し、「播州葡萄園」から持ち帰ったヨーロッパ系のブドウを植えました。ここから本格的なブドウ作りが始まったのです。

 実践派の山内と学究肌の大森を中心に、水の量や肥料の与え方、せん定の仕方、病害虫の防除など、試行錯誤を重ねた末、ついに明治21年(1888)、マスカットの収穫にこぎつけました。

 初めて収穫されたマスカットは、その美味により岡山市内ですぐに1箱2円(当時の米1俵相当の価格)で引き取られました。2年後には、第3回内国勧業博覧会で、大森が加温ブドウで1等有功章を、山内がブドウ酒で褒状を受けました。

 ちなみに、今も桃の産地となっている岡山市津高地区に初めて桃を植えたのも山内善男と大森熊太郎でした。岡山の桃栽培の特徴である「袋かけ」(虫害防除法)を考案したのも、山内善男です。

参考文献 「岡山のブドウ 1993」第40回全国ブドウ研究大会事務局
「岡山くだもの紀行」平成12年 山陽新聞社
「岡山県歴史人物事典」平成6年 山陽新聞社
 

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