昭和11年校舎改築の記録
 

学校誌「弘西」第1号が改築落成記念号として昭和12年1月に発行されました。
この中で当時の岡山市土木課長 小西隆氏は以下のように工事報告をしています。( )内は今回の注記です。

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昭和6年4月より地質調査・設計
12月建築許可申請
昭和7年1月実施設計着手

第1期事業

南棟の一部6教室 鉄筋コンクリート造3階建て
昭和7年5月12日 楠見忠三郎氏と請負契約締結
昭和7年12月完工

第2期事業

鉄筋コンクリート造3階建て教室
昭和8年4月28日 奥村淺吉氏と請負契約締結
(奥村淺吉氏は大正15年に建築請負人として独立。後の昭和19年に奥村建設鰍おこす)
昭和9年3月1日完工

第3期事業

鉄筋コンクリート造3階建て教室
昭和10年7月 西崎馬次氏と請負契約締結
(西崎馬次氏は森下町で建築請負業を営んでいた)
講堂及びその他付帯建築工事
昭和11年1月 西崎馬次氏と随意契約
昭和11年10月30日完工

内容

教室 鉄筋コンクリート造3階建て3棟 建築面積 1,628.78平方メートル
講堂 木造平家建て1棟 建築面積 526.31平方メートル
合計 2,155.08平方メートル
総面積 5,198.192平方メートル
建築費及び設備費 245,039円 

以上出典は1991年発行「弘西小学校の思い出資料集」より

 

また当時の工事請負の事情について昭和9年1月27日、岡山市議会において「内山下、弘西両小学校建築工事について」と題する質問が市会議員塩見季太郎氏より出された記録があります。

「両校の建築請負施工の実状」として
「(前略)最初大林組、清水組、大倉組、安藤組その他日本を代表する建築専門の請負人を指名入札されたのでありますが、予算が少ないので何人も請負はなかったのであります。当時羽原音次郎、楠見忠三郎の両氏に岡山で鉄筋コンクリートの建物を仕上げた事がないので営業上の広告の意味でそれぞれ請け負ったのであります。(後略)」

以上は岡山市会史 第二巻 昭和59年 岡山市議会による。

これらから、当時この弘西小学校くらいの建物は全国大手建設業者に請け負わせることが普通だったこと、また、当時の岡山には鉄筋コンクリート造の建築を請け負ったことのある建築業者が少なかったことがわかります。

 

 

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