金山寺護摩堂鰐口

 お堂に掛けられていた鰐口(わにぐち)に銘文が記されていることが、新たに判明した。鰐口の銘文は打ち鳴らす面の外周に沿って刻銘されるのが一般的であるが、この鰐口には釣手と釣手の間に刻銘されているため、今まで知られることがなかったようである。
 銘は「小犬丸保嵩大明神 應安七年三月 日」とある。小犬丸保は現在の兵庫県龍野市小犬丸一帯を指す。江戸時代の文書には「長尾村嵩大明神社」「氏村小犬丸村・東村・長尾村」との記述があり、嵩大明神(だけだいみょうじん)とは小犬丸集落の南隣にある長尾集落の岳(だけ)神社だとわかる。應安七年は西暦1374年(室町時代初期)である。これによって、この鰐口はもともと1374年に岳神社に奉納されたものだと判明した。
 この鰐口が備前国の金山寺にもたらされた理由はよく分からないが、表の面には、戦の際の陣鐘として使われていたと思われる敲いた痕があり、戦乱の世にあって浦上氏・宇喜多氏が両国を躍起していたこと、また天正三年(1575)に宇喜多直家が金山寺再興を図ったことなどが、その契機の一つではないかと推測される。
 金山寺護摩堂鰐口は、平成14年4月、岡山市指定文化財に指定された。


前面

側面

後面

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