富山城(とみやまじょう)
 岡山市矢坂東町・同本町にある。旭川西岸平野の西側にある標高131.6mの矢坂山に位置し、北側には山陽道が通る交通の要衝をしめているといえる。また、備前国の西半から備中国にかけてを押さえる意味があり、岡山城が備前国の中心となるまでは、旭川両岸平野を支配するための拠点であった。
 この城は、備前国東半を支配していた松田氏(御津郡金川城主)が旭川両岸平野を支配するための支城として、重要な意味をもっていた。松田氏が永禄十三年(1570)に宇喜多直家によって滅ぼされた後は、直家の弟である浮田忠家が城主となり、岡山の押さえとして、そして岡山城に直家が移った後は、対毛利氏の前線基地として、極めて重要な城であった。
 城郭は、全長約300mにもわたる壮大なもので、石塁、土塁、堀切などが遺存する。発掘調査が実施されており、松田氏から宇喜多氏までの城の変遷が3時期に分けてとらえられている。なお、第二次世界大戦で焼失した岡山城西の丸石山門は富山城の大手門であったという伝承がある。

 

位置

 

見学 JR吉備線「大安寺」駅下車 矢坂山にある矢坂山配水場の西側の山道から登る。
ただし、北側は、採石場によって崩落が顕著、注意が必要

参考文献 岡山市教育委員会『富山城跡第二次調査報告』 1969年
岡山市教育委員会「築造400年記念 宇喜多直家城征り跡の探訪マップ」

 

東から(堀家純一氏撮影)

 

略測図(参考文献より引用)

 

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