1.菅原道真の犬伝説が残る島

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犬島の歴史
文明 元年 (1469) ・天満宮が建立される(神官片岡家の文書に記述)
元和 6年 (1620) ・池田忠雄は大阪城の改修に際し、犬島の石を献上
・横河次太夫が縦4間横8間の巨石を犬島から海上を輸送し、苦難の末大阪城へ据えた(明石市二見町の観音寺境内の横河次太夫(姫路城の船大将)の墓碑銘の中に記録が残っている)
寛永 17年 (1640) ・在番構所を設置(山田藤兵衛 : 月1回見回り)
寛文 7年 (1667) ・池田光政が津田永忠に命じ吉永町和意谷に池田家墓所を造営し墓石や玉垣に犬島の石を使用する
貞享 4年 (1687) ・池田綱政が後楽園の造営に着手
犬島から高さ7)5メートル周囲23メートルの巨石を92個に割り海上を運び花葉の池畔に据える(大立石)
また、慈眼堂東側の烏帽子岩(高さ4)8メートル周囲17メートル)も36に割り犬島から運ばれ据え付けられた
元禄 3年 (1690) ・池田藩の犬島検地令により釜島郡犬島と命名する
・玉野市番田から紋太郎家(井上家の祖)、岡山市東片岡から善太郎家(佐藤家の祖)の2家が犬島に移り住み農耕に従事
  7年 (1694) ・任地が下附され久々井村犬島と改名される
・検地帳に山野50町、田畑14町5反、人口30人と記述
  8年 (1695) ・池田綱政が津田永忠に命じ牛窓一文字の波止の造営を始め犬島の石が使用される(長さ678メートル、高さ2.7メートル)
享保 2年 (1717) ・犬島在番所を設置(牛窓の前島、黒島をも見回る)
文政 5年 (1822) ・田畑4町3反9畝13歩、高8石余、物成2石2斗9合
18戸80人(大庄屋 阿知武右衛門の記述)
文久 2年 (1862) ・久々井村から分村して釜島郡犬島村となる(22戸110人)
明治 5年 (1872) ・東谷の千代松宅に犬島学舎開設
  8年 (1875) ・久々井村へ復帰する
  15年 (1882) ・再び犬島村として分離する
  22年 (1889) ・東片岡、西片岡、久々井、犬島村が合併し朝日村犬島となる
  30年 (1897) ・大阪港造営のため石の切り出しが始まる
  32年 (1899) ・採石のため天満宮を現在の場所へ移転する
・築港の採石で賑わう「築港千軒」人口5〜6千人
  34年 (1901) ・朝日尋常小学校犬島分教場として創立される
  35年 (1902) ・犬島の山本八蔵らが牛窓−犬島−岡山間の運航を始める
  38年 (1905) ・大阪築港に伴う採石は急速に下火となる
  42年 (1909) ・坂本合資会社犬島精錬所が東海岸で銅の精錬を始める
創業者は岡山の坂本金弥氏
大正 2年 (1913) ・犬島港護岸の築堤のため本島、鳩島の連絡工事着手
「カナメ」(銅の精錬の際できる残滓)を埋め立てる
  4年 (1915) ・私立犬島実務学校が春山淀右衛門により開設される
  7年 (1918) ・犬島小学校が朝日小学校から独立する
・牛窓の碇芳蔵が千当丸(10トン20人乗り)を運航開始する
牛窓−鹿忍−宝伝−犬島−久々井−小串−京橋
  8年 (1919) ・犬島精錬所閉鎖(3月)240戸1200人
昭和 2年 (1927) ・犬島港の整備で鳩島から東へ28メートル西へ35メートルの築堤が完成し現在の港の原型ができる
  4年 (1929) ・本土から電気の送電が始まる
  9年 (1934) ・犬ノ島に日本硫黄株式会社岡山工場の建設に着手(10月)
  10年 (1935) ・日本硫黄株式会社岡山工場が操業
二硫化炭素年産8500トン
・会社の操業に伴い福島県から犬島へ従業員が移住
280戸1500人
  11年 (1936) ・初めて犬島に電話が架設される(12台)
  18年 (1943) ・犬島幼稚園が開園する
  20年 (1945) ・241戸982人
  22年 (1947) ・小豆島からオリーブを取り寄せ栽培を始める
栽培戸数20戸1300本
・山南中学校犬島分校として開校する(1学級32人)
  26年 (1951) ・242戸1350人
  30年 (1955) ・西大寺市へ合併(4月1日)220戸843人
・幼稚園生34人、小学生160人、中学生80人
  35年 (1960) ・国勢調査216戸820人
  39年 (1964) ・日本硫黄株式会社が日本硫黄観光鉄道岡山化学工場に改称
・白石島に灯台が完成し点灯を始める(11月)
  40年 (1965) ・189戸629人
  42年 (1967) ・日本硫黄観光鉄道が磐梯急行電鉄株式会社岡山工場に改称
・犬島が離島振興法の指定を受ける(8月18日)
・磐梯急行電鉄株式会社岡山工場が整理、全員解雇
  43年 (1968) ・曽田香料株式会社岡山工場として発足し着臭剤の製造を始める
  44年 (1969) ・岡山市へ合併 190戸750人
  50年 (1975) ・簡易水道の敷設が完成する
・国勢調査133戸353人
  53年 (1978) ・電話が自動ダイヤル化される
  57年 (1982) ・コミニティハウスが完成
  58年 (1983) ・篠田正浩監督による瀬戸内少年野球団のロケが行われる
  59年 (1984) ・根木俊三先生の顕彰歌碑を建立する
・93戸224人
・石原プロダクションによる「西部警察」のロケ(7月)
  60年 (1985) ・犬島診療所が完成 宇治先生が診療に来島
・岡山化学工業株式会社が設立
・NHKのドラマ「匂いガラス」(唐十郎作)のロケ(7月)
  62年 (1987) ・浄化センターが完成する
  63年 (1988) ・小学生2学級5人 中学生2学級8人
平成 元年 (1989) ・犬島港の桟橋を改修する(大型化される)
  3年 (1991) ・海水浴場養浜事業開始(平成6年完成)
・70戸130人
・犬島学園が閉園し、中学校跡地へ「犬島学園記念碑」を建立
  6年 (1994) ・消防機庫が完成する(木造2階建)
・山林火災が2件発生する
  7年 (1995) ・犬島港の西側護岸の整備が始まる
  8年 (1996) ・59世帯115人
・岡山城築城400年記念「岡山城ストンヒストリー」が有限会社東田石材の事業場で開催される
  9年 (1997) ・ストンヒストリー後半編が開催される
・芸術系大学生による石像の製作が始まる
倉敷芸術科学大 大阪芸術大 京都市立芸術大 京都精華大 名古屋芸術大 愛知県立芸術大
・今村昌平監督によるカンゾー先生のロケが行われる
  10年 (1998) ・10月17日の台風10号により県北部から流木等により犬島港内が封鎖される
  11年 (1999) ・犬島学園跡地に市立犬島自然の家(愛称わくわく体験犬島)と海水浴場の隣接地へキャンプ場が完成する
  13年 (2001) ・49世帯79人(1月末住民基本台帳)
  14年 (2002) ・7月、犬島アーツフェスティバルが開催される
維新派による新作野外劇「カンカラ」が公演される
・45世帯70人(8月末住民基本台帳)
  15年 (2003) ・9月、富樫森監督による「鉄人28号」(平成16年秋劇場公開)のロケが行われる
  17年 (2005) ・44世帯72人(10月末住民基本台帳)
  20年 (2008) ・4月、財団法人直島福武美術館財団が、精錬所跡を、犬島アートプロジェクト「精錬所」として運営

 

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