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 犬島の象徴的な特徴として犬島精錬所跡があります。
 犬島精錬所は、岡山の坂本金弥氏が銅の精錬所を明治42年3月に開設創業しました。
 その後、藤田合名会社、住友会社と経営は移って活況を呈していましたが、大正時代のインフレで銅の価格が大暴落し、また諸般の事情もあり大正8年3月に閉鎖されました。
 建設当時の貴重な写真を見ると、中央の小山の大煙突はレンガ造りで足場が見え、横一列には20数個の炉釜口も見えています。


銅の精錬所の建設風景

 精錬所の最盛期には、空いっぱいに黒煙が広がって、船着き場には帆船がたくさん行き交っています。
 従業員は全国各地より集まり、島の人口は一挙に増加しました。会社の社宅も建ち、飲食店、料理屋、旅館なども港周辺には建ち並び、三味線や太鼓の音が夜遅くまで聞こえたといわれています。
 会社専属の演劇場も会社請願巡査駐在所もあり、このあたりでは一番の都会だったのではないでしょうか。
 精錬所には自家発電所も設けられ、会社関係住宅には電灯もついていたと聞いています。
 発電所は西洋のお城のような形となっており、まわりの景色とマッチして絵画を見ているようです。
 90年近くを経た現在、精錬所は昔の姿を残し、静かに犬島の人の暮らしを見守り続けています。


銅の精錬の最盛期

 銅の精錬所跡は、レンガ造りの工場跡や数本の大煙突等の独特の風景が残されており、写真撮影や絵を描く人たちが訪れています。
 映画「瀬戸内野球少年団」、テレビ「西部警察」、「匂いガラス」、近くは、今村昌平監督の「カンゾー先生」のロケなどが精錬所跡地を利用して行われました。
 精錬所跡地は、平成20年、財団法人直島福武美術館財団が、犬島アートプロジェクトとして「精錬所」を公開しました。

犬島アートプロジェクト公式サイト


※「犬島写真館」へ掲載の写真は、犬島アートプロジェクトが行われる以前の写真です。現在の様子とは異なるものがあります。


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