写真 朱印状
3 徳川家康朱印状  活字で見る
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旗本となった花房正成が、宇喜多時代の所領に近い備中国小田郡・後月(しつき)郡のうちに5000石の知行地を与えられたことを示す公式文書。
正成は知行地の横谷村(現・小田郡矢掛町)に知行所を設けるが、この地は天正10年(1582)の中国の役において毛利方総大将・毛利輝元が本陣を構えた猿掛城の西山麓を占め、山陽道の要衝を扼している。

花房家歴史資料
岡山市指定重要文化財