【花房家歴史資料について】
花房家歴史資料は、かつては東京都墨田区にお住いであった花房正幸氏(現岡山在住)が、昭和61年1月と翌年9月の二度に亙って岡山市及び岡山市教育委員会に、家伝の歴史資料212点を一括して御寄附下さったもので、岡山市教育委員会が一括して保管しており、一部を岡山城天守閣の常陳展で展示公開している。

花房正幸氏は、戦国時代末期に備前国と美作国を制覇して岡山城を開府した戦国大名の宇喜多直家と、その嫡子で57万4千石を領知して豊臣家の五大老の一人となった近世大名の宇喜多秀家に仕えた、花房正成の直系13代の御子孫である。正成は秀家の家老職を務め、天正16年(1588)に従五位下志摩守に叙任し、天正年間後半には旧領の虫明城(現・岡山県邑久郡邑久町)を領したうえで、備中高松城(現・岡山市高松)の城主となり、都合3万1千石を領有していた。

しかし、慶長5年(1600)に宇喜多家の家中騒動に連座して秀家の許を去り、同年の関ヶ原合戦の後に徳川家康に仕えて旗本となり、以後、正成と直系子孫は明治維新に至るまで5千石を知行する旗本であった。同家の歴史資料は、正成の代から最後の旗本であった正綏の代の明治初年に至る、旗本花房家の公私に亙る文書類を始め、絵図絵巻物や書籍類、伝花房志摩守正成所用の甲冑や家伝の武具及び調度品等々と多種多岐に及んでいる。

岡山市教育委員会は、花房家歴史資料の内から一枚物12点と綴じ物1点の古文書と、伝正成所用の甲冑(紺糸緘二枚具足鎧櫃付)1領の14点、及び9点の系譜類を一括して付(つけたり)とした15種類の資料を抽出して、平成2年4月1日付けで市指定重要文化財「花房家史料」に指定している。このコンテンツには花房家史料の内の付(つけたり)を除く14点(甲冑は写真掲載)と、未指定の古文書類の内から家譜2点、家臣系図1点、宇喜多秀家関連文書(写し)2点、伝豪姫所用小袖下小布(写真掲載)1点を収録しているが、未指定の文書は翻刻に限っている。
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花房家歴史資料