橋に見る大正昭和のデザイン

  橋は主として川を渡るための構造物として昔から使われてきました。そして同時にそれは自分(こちら)の世界と他(あちら)の世界の境界でもありました。

  橋のない川も少なくなかった時代、そんな橋は単なる構造物を越え、特別な意味を持つものとしてつくられたとしても不思議はないという気がします。だからこそ別れや出会い、そして恋の舞台として映画などにも度々登場するのはご存じのとおりですね。

  現代、橋は典型的な土木構造物ですが、ほんの半世紀ほど前までは必ずしもそうではなかったようです。昔話「大工と鬼六」にも出てくるように大工が橋をつくることは珍しくなかったようです。言ってしまえば工学がそこまで分離していなかったということですが、その後土木事業として進化していった橋は次第に構造的なウェイトが高くなり、より経済的、より長大なものへと興味の対象が変わっていったように思います。

  ここでは橋がまだ純然たる土木構造物になる以前、構造体の上にデザインや装飾をまとっているのが当たり前だった時代のものを主としてとりあげてみたいと思います。時代としては大正と昭和戦前が中心です。この時代はアールヌーボーに続く様々な近代様式が世界的に花開いた時代であり、それらの影響も垣間見られるかと思います。

名称について

  橋の名称については、そこの地名にちなんだものもありますが、そればかりではありません。元号の改元に伴うものと思われるものに「昭和橋」(岡山市東区西大寺中二丁目(昭和3年),岡山市中区下(昭和4年))があります。
新しい技術や開発に伴うものとしては「新橋」(岡山市北区南方三丁目,岡山市北区京町,岡山市東区西大寺中野)があります。
変わったところでは人の名に由来するもので、「万納屋橋」(岡山市北区清輝橋)というものがあります。

構造について

  かつてはかなり大きな橋まで木造でつくられていました。しかし木造の橋はその耐久性に問題があり、江戸時代には重要なものは石造でつくられるものも出てきました。「石橋をたたいて渡る」という言葉があるように石橋は頑丈な代表であり永久構造物であったわけです。ただ石造では大きなものをつくることが困難であったこともあり、限定的なものでした。大正時代になって鉄筋コンクリートが発明され、急速に普及していったと見られます。

  一方で鉄筋コンクリート造に先立ち鉄骨造も導入されました。これは高価であったり、特別な技術が必要とされたためでしょう、特に大きくシンボル的なものに限定されていたように思います。鉄道、国道その他国家的プロジェクトに多く見られます。

デザインについて

  橋のデザインに影響を与えていると思われる様式としては、アールヌーボー、アールデコ、表現主義、セセッション(ゼツェッション)等があります。

アール・ヌーボー art nouveau

  (新芸術の意)19世紀末、ベルギー・フランスに興り、ドイツ・オーストリアに波及した建築・工芸の新様式。植物の枝や蔓を思わせる曲線の流れを特色とする。(岩波書店・広辞苑より引用)

表現主義 Expressionismus

  第一次世界大戦前ドイツに始まり、戦後各国を風靡した文学・芸術上の一主義。自然主義・印象主義に対する反動から作家個人の強烈な主観を通して端的に事象を表現しようとするもの。(広辞苑より引用)

ゼツェッション Sezession

  (分離の意)建築上・美術工芸上の一種の様式。1897年ウィーンでオットー・ワグナーを中心とする若い芸術家たちが興した過去の美術様式から分離しようとする運動。機能性・合理性を重視。各国に波及、建築やデザインに大きな影響を及ぼした。分離派。(広辞苑より引用)

照明について

  ここで照明というのは、橋の欄干などの上に取り付けられる照明装置のことです。本来橋には照明はありませんでした(もっとも昔は大きな橋には橋番という詰め所がたもとにあり、灯籠などがある場合はありましたが)。それがある頃から急に橋のデザインに取り込まれてきたようです。

  現代の橋にも多くの場合照明がありますが、それは道路を照らすためのものであるのがほとんどです。ここで取り上げる橋の照明は道路照明が目的ではなく、橋そのものを目立たせる(際立たせる)ためのもので、最近のもので言うとライトアップに近い目的のものです。現在と違って夜が本当に暗く、自動車もほとんど見かけない戦前の時代においては、この照明がもたらす効果には著しいものがあったと想像されます。

  その背景としては恐らく電気の普及があるのでしょう。岡山県では明治時代後期から電気事業が始まりましたが、その普及には長い時間がかかったようです。その理由は高いコストにあったようですが、大正時代に入ると橋の照明に使われるようになったのは電気のPRの目的もあったかもしれません。現存の橋で照明を持つものの最古のものは京橋(大正6年)です。太平洋戦争が近くなるとこの照明がついた橋は急速になくなっていき、わずか10数年間の流行となりました。

 


 

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