三蟠港跡(さんばんこうあと)

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江戸時代に入り高瀬船の発達にともない河口には港町が誕生した。三蟠の港もその一つ。京橋港の外港として発達し、かつては四国への連絡船も出ていた。大正初期から昭和初期まで、国清寺と三蟠港を軽便鉄道が結んでいた。また、中国電力の三蟠火力発電所も立地していたことがある。児島半島、児島湾大橋を望む港には釣り船、クルーザーなど約100隻が係留されている。
港のすぐ北側には、三蟠軽便鉄道記念板と三蟠港の跡と明治天皇御上陸記念碑が建っている。