岡山市のプロフィール
■沿革
古代から中世

- 造山古墳【詳しい情報】
岡山市は、旭川、吉井川の2大河川を有しており、市西部においては隣接する倉敷市を流れる高梁川の恩恵も受け、水資源に恵まれた岡山平野に発達してきました。
古代より吉備文化の発祥地として栄え、市西部には造山古墳をはじめ、今も多くの史跡が残っています。中世には石山城が築かれていましたが、備前の中心地は福岡(現・長船町)にあり、現在の岡山の地はあまり開けてはいませんでした。
戦国から江戸

- 岡山城【詳しい情報】
天正元年(1573)、戦国武将宇喜多直家は沼城(現・上道地区)から石山城に居城を移すと、城を大改修し、同時に城下町の建設に着手しました。直家の子の秀家もこの事業を引き継いで、岡山城を完成させるとともに城下町の拡張整備に努め、岡山発展の礎を築きました。
宇喜多秀家は関ヶ原の合戦で敗れ、替わって小早川秀秋、次いで池田家が藩主となりました。寛永9年(1632)には池田家同士の国替えで、名君の誉れ高い池田光政が31万5千石で藩主となり、学問の奨励や藩政の改革などに功績を残しました。その子の綱政は、元録13年(1700)に日本3名園のひとつ後楽園を築いています。その後は代々池田家が藩主となり明治維新を迎えました。
近代の岡山
明治4年に廃藩置県の令が発布されると岡山に県庁が設置され、明治22年6月1日、面積5.77平方キロメートル、人口47,564人で市制を施行、「岡山市」が誕生しました。 以後、山陽鉄道の開通や第六高等学校・医科大学の開学などもあって、岡山市は政治経済はもとより、交通、教育文化、医療などさまざまな都市機能を備えた中心都市として発展していきました。
昭和20年6月29日の大空襲により、市の中心部は一夜にして焦土と化しましたが、戦後直ちに復興事業に着手し、市民の復興への熱意もあって市勢は飛躍的に回復しました。昭和47年には山陽新幹線が開通し、一躍、「ひかり都市」として脚光を浴びることとなりました。また、昭和44年から50年にかけて周辺1市7町3村と合併し、人口は50万人を突破しました。
そして今

- 岡山市中心部
近年は瀬戸大橋、岡山空港、山陽自動車道など広域高速交通網の整備が進み、 また平成8年4月1日に中核市に移行するなど、岡山市の拠点性は一段と高まりました。 さらに平成19年1月22日には建部町・瀬戸町との合併により、新「岡山市」が誕生、 面積789.91 平方キロメートル、人口約70万人を擁する中四国地方有数の大都市として、 発展を続けています。 平成21年4月1日、岡山市は政令指定都市に移行し、「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」 「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」として、新たなステージに進んでいます。
